書籍・雑誌

進藤康太郎著『「自分の字」で書く』

 『たのしい毛筆』(仮説社)で紹介されていたので,読んでみました。なかなかおもしろい内容でした。昔のいろんな人の書も紹介されてます。確かに,それぞれ個性のある毛筆の字を書いていて,「な~んだ,自分の字でいいじゃん!」って思います。

 お手本とそっくりな字を書けといわれて数十年。大人になったら「筆を持つまい」と思っている人がたくさんいます。この現状をなんとかしたい…そんな思いで書かれた本です。
 あとあと,マネしたいと思う字が出てきたらマネしようとすればいい。しかし,それまでは,自分の字でいいではないか。そう言ってくれるので,とてもうれしいです。これまで敷居の高かった毛筆に対して,「おれももう一度筆を持って見ようかな」という気分にさせてくれました。
 子どもたちに教えるときも,まずは,毛筆の楽しさ,筆で書くことの楽しさを体験してもらいたいと思います。
 本書は,そのためにも,役立つでしょう。

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『俳句の国の天使たち-こども地球歳時記』

170417 ずいぶん前の本ですが,子どもの俳句を読んでみたくて購入しました。
 子どもの俳句を集めた本は,他にも色々ありますが,本書は,日本航空広報部が編者であるところがユニークです。子どもが作った俳句とコラボしたプロの写真家の写真もあるし,なんと,英訳もあります。
 俳句の本としては異色の雰囲気を持っていて,見ているだけで楽しくなります。
 巻末には,父や母など,テーマ別に集められた俳句も載っていて,子どもたちに紹介しながら授業で使うことができるでしょう。

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伊知地英信著『うんちレストラン』

 今回も写真絵本の紹介です。これまた『たのしい授業』誌上に紹介されていたので購入してみました。なかなか素晴らしい本です。子どもも喜びそうです。

 A4用紙にデーンとウンコの写真が出てきます。それだけでも迫力があります。ウンコが苦手な人は,このページでたじろぐのでは…。
 うんちを食べる様子に至っては,もうすごい。うんちの拡大を通り越して,おいしそうなおかずにしか見えなくなります。写真についている一言がなければ,昆虫が普通に食事をしている風景にしか見えません(^o^) その名は,センチコガネ。
 他にも,うんちにあつまるいろいろな昆虫を写真入りで紹介してくれています。

「うんちは,だんだんつちにかえっていく。/そして,あたらしいうんちレストランが また できる。」
 生きもののつながりを教えた後の授業でいかがですか?

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青木幹男著『俳句を詠む,俳句を作る』

 うちの学校では,月に一句ずつある程度のテーマを決めて俳句を作らせています。しかし,なんとなく,タダなんとなく作らせているような気がしていました。
 今年,この分野の担当になった私は,「子どもの作る俳句」「子どもの生活と俳句」についてアタマの中を整理したくて,本棚に眠っていた本を取り出して読んでみることにしました。

 初版は1992年で,私の本棚にあったのは,こちらのものです。
 学校でも,「全校で俳句に取り組もう」といって,時間をとって作らせたりしてきたのですが,どうも,作らせっぱなしの感がしています。俳句を作らせてどうしたいのかが分かりません。
 そこで,そのあたりをつかむために積ん読だった本を読んでみました。
 著者が実際に小学校の高学年で行った授業記録も紹介されています。4年生の国語で習った「ごんぎつね」という物語をネタにして,俳句を作らせるという実践です。
 最初は,著者が作った俳句の一部を空欄にして穴埋めにさせます。その場所にいろんな言葉を入れながら,言葉の違いによってどんな風に感じるかを交流します。
「きのう栗 ○○○○○○○ 両の手に」…さて中七に入るのは何だろう?という案配に…です。
 著者の句には「コスモスをもらうお手々のごはんつぶ」なんてステキなのもありました。
 このように,2時間ほど俳句の導入の授業をした後は,通常の物語の授業の最後に,自分のすきな場面を選んで俳句を作らせるのもいいかもしれないなと思いました。
 紹介されている子どもの句には,次のようなものがありました。
・空ぶりの バットのむこうに いわし雲
・先生が たいいんしたよ とんぼさん
 これらの句を3行で書くという取り組みも,新鮮でいいなと思いました。

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渡邊寶陽著『宮澤賢治と法華経宇宙』

 著者の渡邊さんは,元立教大学学長らしいですので,法華経の世界に造詣が深いのは当たり前ですね。
 そんな著者が,賢治の環境と法華経との関わり,賢治の作品と法華経との関係を説明しています。
 法華経と宮澤賢治の関連については,これまでにもいろんな本で取りあげられていますが,本書は,その中でも,わりと法華経そのものの説明があって,分かりやすかったです。
 ただし,法華経そのものが,他のお経と同様一読しただけでは分からない(特に信者じゃないものには…)のですが…。
 

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『ざんねんないきもの事典』

 学校の図書室に新しく入った本を子どもがいないうちに読んでみました。
 1ページに1種ずつ,その種独特の特徴を簡単な言葉で紹介しています。確かに,なんでわざわざそんなことするの?とか,なんでそんな体になっちゃったの? と思うような動物たちがいっぱい出てきますが,中には,なるほど,そんな仕組みになっているのか…と感心もします。
 これを読んで,いろんな動物にも興味を持ってくれればいいなと思いました。
 さて,新学期からは,どれくらい借り出されるだろうか。

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こうの史代著『この世界の片隅に』

 映画を観たときには,「戦争当時であっても,その時代を有意義に生きるために,前向きな考えを持っていればよい」というメッセージ=「人の主観的な考え方次第でどうにでもなる」と取れなくもないような雰囲気もあったのですが,元になった本書を読むと,戦争に翻弄され,でも,元気に生きようとする主人公すずの姿が浮かびあがってきて,決して,当時をそのまま受け止めるしかない…というような雰囲気ではありません。
 映画を観た人は,是非,この原作も読んでください。

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小林秀雄著『ゴッホの手紙』

 いやー,おもしろかったです。
 著者の小林さんは,受験の現代文の問題によく出てくる人じゃなかったかな。私の学生時代は…ですが。
 著者が,あるゴッホの絵に魅せられ,どうしてもその絵が欲しくて…そのうち,ゴッホがたくさんの手紙を遺していることを知り,知人からその手紙が紹介されている本を借りて読み始めます。それらの手紙から,ゴッホの「生きる姿」がバシバシ伝わってきて,結局,こういう評論を書いてしまったようです。
 ただ,本書は,評論というよりも「ゴッホの伝記」になっています。副題にも「書簡による伝記」と書かれています。
「それよりも意外だったのは書き進んで行くにつれ,論評を加えようが為に予め思いめぐらしていた諸観念が,次第にくずれていくのを覚えた事である。手紙の苦しい気分は,私の心を領し,批評的言辞は私を去ったのである。手紙の主の死期が近付くにつれ,私はもう所謂『述べて作らず』の方法より他にない事を悟った。読者は,これを諒とされたい。(本書221ペ,新字体に改めました)」
 著者が言うように,後半は,まったくゴッホの手紙に語らせるだけ語らせている感じです。だからこそ,ゴッホが生に悩みながら生きていた様子が伝わってきます。
 さて,本書には,ところどころにゴッホの絵の写真が添えられています。絵は白黒ですが,一部を糊で貼ったようになっていて,こんな本を見るのは初めてです。
 また,本書は旧仮名遣いで書かれていて,その点,のちに出た『小林秀雄全作品20』の方が圧倒的に読みやすいです。しかし,出版当時の雰囲気を感じたい方は,古本を手にとってもらった方がいいかも…。ただし,『全作品』のように注釈はないので,読みやすさはその面でも劣ります。

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東光敬著『宮沢賢治の生涯と作品』

170311 十数年前に夢中になった,宮澤賢治についてまとめたものを読みなおしていたら,またまたふつふつと好奇心が沸いてきて,賢治に関する研究本を3冊手に入れました。そのうちの一冊を紹介します。

 わたしの手元にある本(右の写真)は,1991年の復刻版です。「もったいない本棚」で,575円(+送料)でした。元は2000円だから安いもんです。
 前半は,宮澤賢治の作品と家族や知人に宛てた手紙をもとにした賢治の伝記になっています。著者による,賢治の作品・手紙の引用の仕方がとてもうまい(適材適所)ので,その時々の賢治の気持ちが,作品から伝わってきます。友人や知人の聞き取りも入っているので,それも又貴重です。
 後半は,賢治の作品の紹介です。
 ここでは,賢治を「悲願の人」「行願の人」「ぜんたいの幸福」「善意の文學」「第四次元の藝術」「科學と宗教」「修羅の旅」…などという章に分け,それがあらわれている作品を並べて紹介しています。これまた,作品を横軸にみる気持ちよさがあります。
 難を言えば,本書がもともと1949年発行であることにより,旧字体が使われていること,それにもかかわらずルビが一切ないことです。
 ま,当時のままの雰囲気を感じることができるので,それはそれでいいんですがね。読めない漢字は適当に読んでいますし(^^;; 意味は分かりますから。
 なお,引用は,現代仮名遣いに戻してあります。

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ゴッホの手紙から(日本編)

170308 今日もまた,ゴッホの手紙の一部です。
 今回は,日本のことに触れているものをいくつか紹介します。ゴッホは,日本の浮世絵に造詣が深かったことはけっこう知られていることですが,日本の浮世絵版画の単純な色彩に影響を受けていた様子が伺われておもしろいです。日本に行ったことがないと思われるのに,その風景を想像しているのもおもしろいです。なお,引用したのは右の本からです。県立図書館よりお借りしました。
 この本の紹介は,ここに書きました。

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 ぼくのアトリエは,十分我慢できる。というのも,かべにひとまとまりの日本の版画をピンで留めてみたところ,たいそう楽しげな感じになったのだ。知ってのとおり,版画には,庭や浜辺にいる女たち,馬に乗る男たち,花々,節くれだったいばらの灌木などが描かれている。(1885年12月)

ベルナール宛
 この田舎(南フランス,プロヴァンス地方のアルル?)の景色は,澄んだ空気と鮮やかな色彩という点で,ぼくにとっては日本と同じくらい美しい。水が,風景の中で,日本の版画で目にするゆおなきれいなエメラルド・グリーンと豊かな青の斑点を作り出している。淡いオレンジ色の夕焼けが,地面の青からくっきりと浮き立つ。そして太陽はまばゆいばかりの黄色だ。このあたりの景色を,あの夏の輝きのもとでも見なければなるまい。ここの女たちは上品に着飾っていて,特に日曜など大通りに行けば,とても単純だが巧みな色の組み合わせを目にすることができる。きっと夏になればいっそう輝きをますことだろう。(1888年3月)

474
 きみも知っているように,ぼくは作品については気が変わりやすい。果樹園を描くというこの情熱がいつまでも続くわけではない。翌日には闘牛場を描いているかもしれないのだ。それに,山ほど素描を描かなければならない。ぼくは素描を日本の版画のスタイルでやってみたいと思っている。鉄は熱いうちに打つ以外に手がないのだ。(1888年4月)

487
 田舎の風景に囲まれた小さな町が黄色と紫色の花で満たされている。わかるかい,まるで日本の夢を見ているかのようだ。(1888年5月,アルル近郊の花畑)

500
 ここの海を見て,ぼくは今や,この南仏にい続けることの重要性と,色彩をさらに誇張することの必要性とを,完全に確信している。ここはアフリカそのものだってそう遠くないのだ。
きみがここでしばらく過ごせたらいいのに。しばらくいれば,ぼくが感じたのと同じようにきみも感じるはずだ。ものの見方が変わり,ものごとをより日本人のような目で見るようになる。そして色彩に対してこれまでとは違った感覚と持つことになる。
実際,ぼくは確信しているのだが,ここにしばらく滞在することは,自分の個性を解放するために必要なことにほかならないのだ。
日本の芸術家はすばやく素描する。まるで稲妻のようにとてもすばやく。それは彼らの神経がより繊細で,より単純な感覚を持っているからだ。

ベルナール宛
 ペンによる大きな素描を描いた。2点あるが,そのうちの1点は,広く平坦な校外を,丘のてっぺんから鳥瞰的に見たもので,葡萄畑や収穫後の麦畑を描いている。すべてのものが無限に反復され,海原のように地平線に向かって広がっていき,句ローの低い山々にまで続いている。
それは日本のようには見えないが,ぼくがやった中でもっとも日本的なものであることは事実だ。ごく小さな耕す人々,麦畑の中を走る小さな汽車,それらが,この中に描かれた生活のすべてなのだ。(1888年7月)

554
 ようやくだが今度の作品が,少なくともどんな作品になろうとしているかがわかるような小さなスケッチを送る。今日,その制作に戻ったからだ。ぼくの目はまだ疲れているが,頭には新しいアイデアがわいてきた。これがそのスケッチだ。またも30号のカンヴァスだ。今回はシンプルにぼくの寝室だが,主役はここでは色彩だ。その単純化によって,そこにあるものは一層存在感を増し,ありふれた休息とか睡眠の感覚が生きたものとなる。実際,この絵を見ることは,脳を,あるいはむしろ想像力を休息の感覚で満たすはずだ。(中略)
明日1日,再度この作品に取り組むつもりだが,きにみはいかにこのコンセプトが単純であるかがわかるだろう。暗がりと影は取り除かれる。明快に彩色され,日本の版画のように平板に色がつけられる。
これは,例えばタコラスコンの馬車や夜のカフェと好対照となるだろう。(1888年10月,寝室)

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