日記・コラム・つぶやき

珠洲市親子議会

180726 珠洲市親子議会というものを初めて傍聴した。もう10年以上前からやっているそうだが,これが始まった頃は,わたしは他町に勤めていたし,その後担任も持っていなかったので,そんな機会がなかったのだ。今年は,クラスの子が参加するということで,応援に行ったのである。
 14名の子どもたちは,それぞれ,自分の経験から考えたことを表明していた。ただ,みんな3分という質問時間を守っていなかったのではないかと気になった。要項には「質問3分,市著答弁3分」と書かれていたんだがなあ。
 あと,すべての質問に対して市長が答えていたので,ま,そんなもんかとは思うけど,他の課長さんが,出てくるってのもありかも知れない。あのただ座っているだけの課長さんたちは,大変だもの。

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鶴彬を学ぶ・生家跡

180624_01 鶴彬こと喜多一二(きたかつじ)は,高松町のこの家(写真)の向かいの家に生まれました。写真の家の場所は,一二が養子に行った伯父さんの家の場所だそうです。一二の生家は,道路を挟んだ向かいにあったそうですが,今じゃ,跡形もありません。
 鶴彬は,8歳の時に実父と死に別れ,母も再婚して妹だけ連れて東京へ行き,自分は,おじの家の養子となったのでした。
180624_02 この庭には,まだ,鶴彬とは名乗っていなかったころの初期の作品の句碑があります。
「可憐なる母は私を生みました」
 母への思いが表れた川柳です。
 喜多一二は,師範学校に進学したがっていたようですが,それは,叶いませんでした。
 わたしは,個人で回ったときに,ここへもちゃんと来ています。てっきり生家だと思っていましたけどね。

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鶴彬を学ぶ・浄専寺編

180623_01 反戦川柳作家鶴彬(つるあきら)のことを調べたのは,もうずいぶん前です。市販されている鶴彬の本は,手に入れられるやつは手に入れたつもりです。『鶴彬全集』もあるしね。
 今回,いしかわ総研が主催して鶴彬の生誕の地・高松町で学習会をするということで,これは勉強せねば…と思い,出かけてきました。
 講演の場所は,浄専寺というお寺さん。真宗大谷派の寺院のようです。
180623_02 このお寺の境内には,
「胎内の動き知るころ骨がつき」
の句碑があります。揮毫は,鶴彬の映画をほとんど手弁当で作ってくれた監督・神山征二郎氏。実は,来てみて分かったことですが,ここへは,以前自主的に来て写真を撮ったこともあります。
 まずは,境内に集まり,本日の日程を確認しました。

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思ったより大作だった…「民衆を導く自由の女神」

180510 大塚国際美術館の話題は,これで最後にします。
 今日,紹介するのは,作品番号571の「民衆を導く自由の女神」です。
 この絵は,日本人なら誰でも一度は教科書か資料集で見たことがあると思います。私はもっと小さい絵だと勝手に思っていたので,この迫力にはビックリしました。神さんもビックリしています。

 入場料が3240円もしますが,連休中ということもあり,大変多くの人で賑わっていました。駐車場も遠くに止めさせられ,バスで送迎してもらいました。通常なら午後5時までですが,この日は6時まで延長されていて,午後からでしたが,わりと見ることができました(それでも,最後の方はかけ足でした)。
 いやー,ホントにすごいモノを作ったなあと感心しました。

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道の駅で見つけた一言

Img_5649_480x640 小浜市の道の駅で,こんな言葉を見つけました。
 やはり,夫や父が絡んだ言葉は,一度目に入ると頭の隅にくっついてはなれません。
 「○○の母」「○○の父」と言って思い浮かべる言葉って,どんなものがあるかな…と考えてみました。
 が,私の頭に浮かんだのは「ウルトラの父」だけでした。

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聞き耳立て パソコン打ってる 内示の日

 ま,この仕事をしていると,数年に一度の職場の異動が気になります。若い頃は,進んで異動を願い出たものですが,最近は,現校希望で,あとは好きなようにしてね~という感じです。だから,一校に居る時間はけっこう長くなりました。
 ウチの職場には,毎年のように若者がやってきます。わたしが本校に来る前から,ずっと初任者がやってきているのです。来年度も来れば,おそらく7年連続で来ていることになります。

 今回の内示。私は本校のままでした。これで,おそらく退職までこの学校に留まることになるでしょう。今の4年生と一緒に卒業ですね。

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サークルとすずちゃん

Img_5224_473x640 今年度最後のサークルでした。いつものメンバーが参加。
 正負の数とトランプ,日本の都道府県,たのしい書写,優生保護法,特別支援等々についての話題がでました。いつものように,即授業に直結する内容もあれば,教育とはなんぞやという話題もあります。
 年々点数のみで人を判断する教師が増えてきていて,そのあたり職員室での圧迫感の話もでました。若い子が,ゆったりと子どもたちとふれあえる環境は,もう,遠くに行ってしまったんですね。少なくともわたしの学校の若い子たちにはのびのびとやってもらいたい。そう思っています。だから,そういう行動もとっているつもりです。

 要は, 自分の学校の子どもたちに,少しでも学ぶ楽しさを知ってもらうこと。結果として点数が上がれば良いけど,そうじゃないからと子どもを責めたり,単なる反復練習をするのは学習の動機づけとしてもマイナスでしかありません。授業を通して子どもとの関係がしっかりできあがれば,まわりから何を言われようが,自分の立ち位置がしっかりしてくると思います。今の世の中,あっちに気をつかい,こっちにも気をつかい…とやっていると,精神がまいってしまうのではないか…と思うのです。

 さて,いつもの公民館からの帰り際,写真ようなキャラクターの置物に気づきました。可愛いので紹介しておきます。珠洲の鳥・ウグイスの頭には市の花ツバキ。そして,ツバキの雌しべには本物の鈴がついています。これ,かわいいんじゃね。
 珠洲市社会福祉協議会のマスコットキャラクターらしいですが,なかなかやりますね。

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珪藻土の置物+ビャン

Img_5206_480x640 卒業生が,珪藻土を使って作った置物を学校のあちこちに置いて行ってくれました。トイレや特別教室にも置いてありました。珪藻土地層の見学に行った時に,会社の方から頂いたブロックを使って作りました。珪藻土は,においや湿気を吸収してくれるということで,家庭の壁にも使われたり,最近はバスマットにも利用されたりしています。
 そのブロック,理科室にもちゃんと置かれていました。上には今年の6年生の徴である「スター☆」がえがかれています。まわりには理科にちなんで,ビーカーや電池やフラスコなどが描かれていました。

Img_5207_638x640_2 で,ひっくり返してみると,底には「ビャン」という漢字が…。この漢字は,中国で一番画数の多い漢字として,習字の時間に,私がたまたま紹介した漢字(ネットで紹介されていたのである)で,担任によると,それから数日間は,6年教室の後ろの黒板にも書かれていたり,子どもたちの自由勉強帳にも書かれていたそうです。

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ありがとうの気持ちを文字に込めて

Img_5216_480x640 卒業生へのメッセージを綴る掲示版。卒業生の写真と全校児童からのメッセージ以外に,何かちょっとしたタイトル文字がほしいなと思っていました。
 「祝卒業」というのも,ありきたりだし,「6年生ありがとう」にしようかなと,毛筆文字をググっていたところ,おもしろいものを見つけました。それが右の文字です。「ありがとう」と「夢」という漢字を合体させたもの,「ありがとうございました」と「感謝」という漢字を合体させたもの。
 夢の方は,私が書いて見ました。感謝の方は,5年生の女の子にお願いして書いてもらいました。
 面白いことを考える人もいるものですね。

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ETV「94歳の荒凡夫~俳人・金子兜太の気骨」(後編)

 昨日に引き続き…

 兜太は、長く「朝日俳壇」の選者も務めてきた。あの3・11以来、命を扱った作品が多く投句されるようになったという。次の俳句は、その中の二句。

○生きていて生きてるだけで燕来る(飯田操)
○春も人も神をも連れて去る津波(水野信一)

 福島県立福島西高等学校の国語教師・中村晋氏(と、その教え子たち)と兜太との交流の姿も紹介された。

○空っぽのプールに雑草フクシマは(女子高生)

 作者の女子高生は、「友だちと話してして事ある毎に〈放射能あるんじゃないの?〉という会話が出てきます」とも。

○春の牛空気を食べて被曝した(中村晋)

 震災に遭ってからしばらく俳句が出て来なかった中村先生の中にいきなり浮かんできた句。句を聞いた生徒は最初は笑うが間もなくシ~ンとなる。笑いの後にある悲しみ…なんとも悲しいことではないか。

○ひとりひとりフクシマを負い卒業す(中村晋)

 漢字で表される「福島」とカタカナで書く「フクシマ」の違いが分かるようになるのは、生徒達が社会に出てからだろう。

○津波のあと老女生きてあり死なぬ(兜太)

 兜太は、俳句に勇気づけられ、俳句で生きてきたと言い切る。俳界の革新派であり、自由律にも季語の扱いにも柔軟な考えをもっていた。
 日本の四季を詠むにしろ社会を詠むにしろ、俳句には作者と読み手の感情を強く同化させる作用があると感じる番組だった。合掌。

 ところで,荒凡夫とは,晩年の小林一茶が自分のことをそう読んでいたという言葉だそうである。

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