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厚さ2センチくらいの板に「文化十?年」の文字が

190430 今日,土蔵の掃除をしていた。奥の方の,これまで触ったことのない場所のショーケースを捨てようとどかしたら,その下から分厚い木の板が出てきた。いらんはこれ,捨てよう…と思って,蔵の外に出したら,木には何やら文字が書かれている。
 ほとんど読めないのだが,最初は「文化十?年」と読める。文化と言えば,江戸時代。1804年~1818年までの元号だそうだ。ということは1814年~1818年の頃の板ということだ。あとの字,読める人はいませんか?

 

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浅井リョウ著『世界地図の下書き』

 児童養護施設の子どもたちを描いた作品。あまり小説を読む方じゃないので,こういうタイプの内容は初めてだ。
 小学校から高校生まで,さまざまな子が出てくるが,その子たちは,当然,いろんな〈もの〉を抱えているからこそ,ここに,いる。その〈もの〉は一人一人違うから,施設の中の子どもたち同士でさえ,うやらましがったり,見せびらかしたり,秘密にしたり…と,お互いに心を開くことはなかなかできない。
 しかし,そんな子どもたちが,今年高校を卒業して施設を離れてしまう佐緒里(佐緒里は進学を諦めて親戚の家に働きに行くことになってしまった)を勇気づけようと,協力して〈あること〉をしかけようと計画するが…。

以下,ネタバレ注意!

 ラストのシーンは,とってもよかった。浅井さんだから,また何かどんでん返しでもあるのかと心配してたけど,そうでもなかった。
 佐緒里に思いを寄せる(たぶん初恋だな)6年生の太輔の気持ちが,これまた,とてもいい。
 最後の5ページくらいで,浅井さんからのメッセージが伝わってきて,「ここがいやならにげていい」「別にガマンしなくていい」「この先にも,また分かってくれる人が絶体いる」と励まされる。

 「私たちは,絶体にまた,わたしたちみたいな人に出会える」
 「逃げた先にも,同じだけの希望はあるはずだもん」
 こんな佐緒里の言葉に胸を熱くするわたしであった。
 

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青木優和文・畑中富美子絵『われから』

 「われから」と聞いて,「あ~あれのことか」と理解できる人はどれくらいいるのだろうか? わたしは,初めて聞く言葉だった。
 「われから」…それは,「かいそうのもりにすむちいさないきもの」の名前だ。なんともヘンテコな形をしている。日本の海で見つかりやすい21種類のワレカラが,表紙裏にイラストで紹介されている。「ワレカラモドキ」だけど,ちゃんとワレカラの名前だったりして,おもしろい。
 絵本で見るのは初めてだけど,今まで,見たことがあるような気がする。千切れて浮いているホンダワラなんかを取ってきて,砂浜に穴を掘って水を入れて遊んでいたときに,見たことがあるような。
 今年の夏は,目的意識的にみて見ることにしよう。ただ,絵本は持っていけないので,個体の方をビニル袋にでも入れてくるかな。
 産まれたばかりのワレカラをワレカラが乗せて歩いている姿は,是非見て見たい。
 さすが仮説社,おもしろい絵本を出すよ。学校の図書館にもお置いてもらおっと。

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かわさきしゅんいち絵・文『うみがめぐり』

 お世話になっている仮説社から,ついに絵本まで出ました。さすが,科学関係の書籍を扱っているとあって,内容は「科学」です。
 ウミガメの赤ちゃんの一生の話かなと思っていたら,そうではありませんでした。
 いのちはつながりあっている…そんな話でした。ということは,やっぱりウミガメの赤ちゃんの一生の話でもあるのでしょうね。
 どのページの絵も迫力があって,見応え十分。そして,オノマトペもおもしろい。これぞ,絵本ならでは…です。

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杉原里美著『掃除で心は磨けるのか』

 自問清掃をしている学校に勤務していたことがある。初年度は「自問清掃を自問する」などという資料を職場に配付して,疑問を呈していたが,なにしろ町を挙げて行っているので,学校独自でなかなかやめられない。静かに清掃をしていることで心が磨けるのかといえば,NOである。その学校の子どもたちは,他の学校の子よりも素晴らしいというよりも,その逆だったから。

 本書は,そんな枝葉末節なことについて書かれているわけではない。
 静かに掃除をすることも,朝ごはんを食べることも,ちゃんと宿題をすることも,親を大切にすることも,郷土愛を持つことも,全部,大切なことなのだ。だれも反対できない。が,しかし,そういうことを「国がシモジモに指示するように言ってきたらどうなるのか」…それを問題視する。
 最近,学校で起きている〈ちょっと違和感のあること〉の根底を見ると,見事につながってくる。根底にある,戦前回帰の流れ=日本会議の存在。
 〈子どもたちの自己実現を目指す〉という視点よりも,〈これからの社会を維持していくための人材〉としてしか見ていない国家の教育観。新自由主義史観の行く末が垣間見えるようで恐ろしい。
 今,現場は大変疲れている。物が言えない教師が増えている。主体性のない教師に垂れ流しのように指導される子どもたち。どんな大人になっていくのだろう。
 著者は「あとがき」で次のようにいう。

「国家」「公共」「社会」ありきで,その枠に適応する人材育成のための教育が支配的になっていくと,こうした枠組みそのものの問題点を指摘できる「人材」は育ってこない。/自分の頭で考えて,ものを言う人たちがいなくなれば,戦前の日本のように,いつの間にか国民全体が同じ方向に流されてしまうかもしれない。/本書が,立ち止まって考えるきっかけになればと願う。

 ぜひ,読んで見て下さい。いろんなものがつながっていることが分かります。そして,こちらは,バラバラにされていることも…。

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《もしも原子が見えたなら》の一場面

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 10万個の空気の粒の中には,どんな分子が見えるかな。
 「ネオンを探せ!」「ヘリウムを探せ!」と夢中になる子どもたち。
 ネオンやヘリウムは,10万個の空気の分子の中に,1~2こしかないそうです。

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浅井リョウ著『ままならないから私とあなた』

新しい図書館ができた! というわけで,新しいカードも作ったことだし,1冊借りてきた。

表題のお話と「レンタル世界」という短いお話が入っている。いずれも,浅井リョウ節が伝わってくる作品だ。

注意:ややネタバレです。

「レンタル世界」は,友達や恋人さえもレンタルするという世界を描いた者。その場を誤魔化してスルーするための人間のレンタル…これに対して主人公の男性は大きな違和感を抱くのだが…レンタル友達を引き受けている当の女性の説明に反論できない自分がいる…それでも「深い人間関係とはそんなものではない」と思いたい男性がなんでもわかり合えている先輩野上の家を訪ねると…。
ここからは,浅井リョウのどんでん返しが待っている。

「ままならなから私とあなた」は,2人の幼なじみの女性のお話。ここでもまた,近未来的な内容となっている。
仲よし2人は,少しずつ自分が目指す方向が離れていく。それでも2人で話す時間は貴重らしい。ユッコは,ぐちゃぐちゃな人間関係の中から何かを見いだそうとする。まさに「ままならないから」こそ人は人であると思いたいというタイプ。一方,薫は「ままならない」ことを技術やコンピューターの力で「ままなるように」しようと研究する。ユッコは「ままならない」ことをそのまま受け入れようと説得を試みるが,薫の理論に太刀打ちできない。

いずれの作品を読んでも,おそらく,読者は主人公と同じような考えを持っている。だからこそ,主人公=その読者に対して「本当にそれでいいのか」「そうじゃないこともあるじゃないか」「あなたこそ,自分を誤魔化しているのではないか」と迫ってくる。
これが小気味よくてついつい浅井リョウの作品を手に取ってしまうのだ。

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