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割合,そして,わり算

170808_01 研究大会二日目の午前中と午後の分科会は,算数分科会に参加しました。私は,出口さん(研究会員)が中心となって作成している授業プラン<割合>の授業実践記録(昨年度のもの)を持っていきました。単元末テストの詳しい結果もつけておきました。
 参加者からは,「新しい授業プランが出たときには,その定着度もしっかり取ることが大切だ」と賛同されました。私は,常に,8.5割~9割超えるかどうか…を,授業プランの完成度の170808_02規準としています。今回の割合のテストも,市販テストの文章題の部分で平均が90点を超えています。これは〈割合〉に苦しめられている普通の小学校現場からすれば,素晴らしい達成率と言えるでしょう。しかも,ほとんど全員が「たのしい授業だった」と言っているのですから。
 一方,荒井さん(元小学校長)がまとめてきてくれた「2位数でわるわり算」についての話は,とても奥が深くて,わり算に躓きがちな子どもたちへの手当がよく分かりました。
170808_03 だいたい,算数では,この「2位数でわるわり算」の授業から,計算が嫌いになる子がいます。仮商の立て方が上手くいかずにとっても時間がかかるんですよね。2学期の4年生との授業に活かしていきたいと思います。
 他には,お団子パズルを収納するための箱を葉書から作る…みたいな計算も出たりして,ほんと,いろんな視点で研究しているなあと感心しました。
 写真は,上:授業書《広さと面積》 中:お団子パズルと収納箱 下:算数の苦手な子に対するいろいろな手立て について,協議しているところです。

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花火と同級生

170807_01 全国大会の会場のホテルは,長崎の稲佐山の中腹にあるので,長崎港が一望できます。しかも私の割り当てられた部屋は10階だったので,とても見晴らしがいいのです(上の写真)。こんなに見晴らしのいい場所で宿泊するのは,おそらく初めてです。こりゃ,夜景もキレイに違いありません。しかも,今晩は,長崎港の花火大会です。
 対岸には,大浦天主堂やグラバー園も見えます。
170807_02 窓のすぐ右下には,軍艦島や旧グラバー住宅と同様に「明治日本の産業革命遺産」にもなっている三菱長崎造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」が見えます。このジャイアント・カンチレバークレーンは,日本に初めて設置された電動のクレーンで,1909年に竣工しました。未だに現役だそうです。このクレーンは,軍艦島クルーズ船の上からも見ることができます。
170807_03 夜は,1年ぶりに会う大学時代の同級生に,私の部屋に来てもらって花火観戦をしながら,ビールで乾杯です。
 この1年間の近況からはじまって,ま,退職後の話まで,いろいろと語り合いました。これもまた,最近の全国大会の一夜の過ごし方でもあります。また,真横に見る花火は,味わい部会ものでした。長崎の急な坂道ならではの景色だと思います。

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国語分科会に初参加

170806_01 この全国大会では,分科会設定は,当日,参加者の意見を集約しながら行われます。その分科会設定を見ているだけでも,新しい「何か」がはじまりそうで,ワクワクします。自分が研究していることを見てくれ!という意見もあれば,全体を見てこうすればどうかという意見を言う人もいます。
 私は,初めて国語分科会に参加しました。自分が「たのしい毛筆」についてレポートを持ってきたので,それを発表するために…です。
170806_02 国語分科会では,読み聞かせの本の紹介や読み聞かせの仕方,私と同じような問題意識で毛筆の授業を進めている会員の話,漢字を使ったマッキーノの話など,とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
 2学期からの毛筆の授業も楽しみになってきました。読み聞かせなどの話は,サークルで交流したいと思います。
 

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そうだったのか~「長崎とキリスト教」

170805_01 いよいよ全国大会に参加です。
 毎年のことながら,会場となるホテルの玄関に着くと,ワクワクしてきます。
 今年の最初の講演は,二階堂さんの「長崎とキリスト教」というお話です。
 うちの研究会らしく,一方的な話ではなく,ときどき出される問題に参加しながらの講演です。
 内容は,出島のこと,キリスト教の禁止令のこと,大浦天主堂のこと,宗教教育のことなど,江戸の前から明治,そして現代まで,とても内容の深いものでした。もう,最初から,ノーミソが刺激されっぱなしで,とても楽しい時間で,あっという間の時間でした。
170805_02 翌日の朝風呂で聞いたことですが,二階堂さんは,この講演内容を作り上げるまでに,何度となく長崎に足を運んだそうです。その研究姿勢には頭が下がります(下の文章は,著作権保護の為,拡大できません)。

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大浦天主堂とグラバー・ガーデン

170804_01 長崎めぐりの最後は,グラバー邸方面に行くことにしました。
 ホテルをチェックアウトし,荷物はホテルに預けたまま,身軽な姿勢で路面電車に乗って出かけました。私の泊まったワシントンホテルは,長崎駅とグラバー住宅の間にあるので,帰りに寄って荷物を貰うのに便利なのです。
 まずは,大浦天主堂へ。創建150年以上だそうです。
170804_02 なかに入ると,鮮やかなステンドグラスが眼に入りました。まだ,太陽の高度が低いので,ステンドグラスの窓から差し込んだ太陽光がキレイに色づいて,天主堂内部の床や机に映っています。いやー,厳粛な雰囲気になります。堂内では,解説が流れていて,一通り聞きながら,見学をしました。ここでは,「日本二十六聖人」や「信徒発見」の話など,昼からの全国大会の二階堂さんの講演につながることを勉強していたのですが,まだ,私は,知るよしもないのでした。
170804_03 そのままグラバー・ガーデンの入り口を通って,グラバー邸へ向かいました。動く歩道があって,さすが坂の町長崎の世界遺産だなあという感じです。ここでは,いくつかの住宅をまわりながら,懐かしいグラバー邸へ。ここへ来るたびに,キレイな建物とお庭だなあって思います。しかも見晴らしもいいし。
170804_04 グラバーさんは,日本人と結婚したのですが,その子どもの名前が「倉場富三郎」というそうです。高校生の時にもここに入ったはずですが,説明板なんて読むはずもなく騒いでいたんでしょうな。全く覚えていません。
 ALTが,学校の出勤簿にハンコを押していますが,そのハンコが,自分の名前をもじって漢字で書いたものが多いのを思い出しました。
 以上で,今回の長崎の旅の話題を終わります。
 午後からは,研究会の全国大会が始まります。
 

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夕食と山車と花火

170803_01 今日の夕食は,宿泊したワシントンホテルの近くにある「長崎新地中華街」で…。どこに行こうかと迷いながら,結局,観光パンフに載っていたらしい「蘇州林」というお店に行ってみた。
 2階へ案内されていくと,なんと知った顔が3名いるではないか。明日からの研究会の全国大会に参加する福井県のメンバーである。同じ研究会のメンバーを見ると「お~,全国大会もいよいよはじまるなあ」という思いも強くなってくる。
 7時過ぎに店に入ったのに,ラストオーダーを7時40分頃に言われて,慌てて食べて出てきた。
170803_02 会計の時にレジの女の子に聞いてみたら,この中華街のお店は,大概午後8時30分~9時には閉まるそうである。儲ける気はないのかなあ。
 29日,30日と,長崎港では花火大会が開かれると聞いた。今日,港に行ったときにも,そういう看板があったし,ビヤガーデンの準備もしていたのを思い出した。
170803_03 お店を出ると,花火の音が聞こえてきた。花火を見ようと,湊の方に向かうと,「湊公園」という公園で,太鼓の音に合わせてなにやら山車を前後させたり回転させたりしているのに出会った。なんで,これ一基だけが,ここにいるのかよく分からなかった。が,あとで,この山車は「長崎くんち」のお祭りで使うらしいことが分かった。今日は,観光用だったのだろうか?
 この湊公園からは,高く揚がった花火なら見えた。ま,明日は,もっと見晴らしのいいホテルで宿泊することになっているので,その時にじっくりみることにしよう。

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眼鏡橋

170802_02_2 ここに来るのも3回目。
 「あ~,今日は,川に映ってなくて,メガネに見えないなあ」と写真も撮らずに,眼鏡橋の上で,コイと遊ぶ子どもたちを見ていたら,老夫婦がやってきて「あ,コイ放してある」とうれしそうなご夫人。この季節になると,市かどこかがコイを放すのだそうです。確かに立派なコイが泳いでいます。
170802_01 そんな話を聞きながら,橋の反対側へ歩いていくと,ちゃんとメガネに見えるではありませんか。要するに,光線の関係なんでしょうね。下に降りて撮ると,もっとメガネっぽく見えるのでしょうが,疲れているのでやめました。

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東明山興福寺

170801_01 久しぶりのお寺さん訪問です。
 風頭公園から,龍馬関連施設を見ながら坂を下りて,しばらく道路を進むと,やや中国風の構えをしたお寺さんが見えてきます。東明山興福寺といい,このお寺は,国内最初の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺だそうです。
170801_02 興福寺は,明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が,航海の安全を祈願して小庵を建てたのがはじまりだそうです。1620年頃です。
 そのあと,あの,隠元が住職ともなったそうです(山門には,その隠元和尚の肖像画が飾られています)。170801_03京都にある萬福寺も黄檗宗でしたが,萬福寺よりも興福寺の方が古いようです。知らなかったなあ。
 一応,御朱印帳も持っていったのですが,どこにも,それらしき場所はない…で,庫裡の方のインターホンを押してみると,ちゃんと出てきてくださり,書いてもらいました。
 仏像は,なんか,蓮の葉などがピンク色にきらきらしていて,独特の雰囲気を醸し出していました。

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