« 鳥山敏子著『賢治の学校』 | トップページ | ゴッホの手紙から(日本編) »

「ゴッホの手紙」から

170308_2 つらつらと「ゴッホの手紙」の一部を転載してみます。これらは,ほとんどが弟テオ宛に書かれたものです。フィンセント・ファン・ゴッホは,何を思いながら絵を描き,何を思って死んでいったのか。それがなぜか気になるこの頃です。番号は,手紙の整理番号です。手紙は,右の本より引用しました。この本以外にも,「ゴッホの手紙」については,たくさんの出版物が出ています。

190
 ぼくは,上品ぶった店でほどよく上等なコートを着ていることが居心地悪かったし,とりわけ今となってはそんなことはできないだろう。おそらく退屈するだろうし,うんざりするだろう。ヘーストあるいはヒースの野や砂丘のような場所で仕事をしている時のぼくは,まったく異なる人間なのだ。そうした場所では,ぼくの醜い顔やすりきれたジャケットは,周囲の環境と完全に調和し,自身に立ち戻り,喜んで働くのだ。(1882年4月)

218
 ぼくは,人々を感動させるような素描を行いたいと思っている。人物であろうと,風景であろうと,ぼくが表現したいのは,何か感傷的にメランコリックなものではなくて,深い悲しみなのだ。(1982年7月)

270
 絵具については,本当にすべて使い切ってしまった。それだけではなく,ひとつふたつのかなり大きな出費もあって,ちょっと現金が不足しているというより,すっかり破綻してしまった状態だ。春はそこまで来ている。ぼくは,また油彩にも取り組みたい。今,水彩で制作していない理由の一部には,確かにこうした金のことがある。(1883年2月)

274
 当然のことだが,ぼくの気分はさまざまに変化する。それでも,ぼくは概して,ある種の静謐さを獲得した状態にある。ぼくは,芸術に対して強い信念を抱いている。それは確固とした信念であり,もちろん自分自身でも努力しなければならないが,人を天の高みに押し上げる力強い流れなのだ。いずれにしても,自分の仕事を見出せた人は,非常に幸福だと思う。ぼくは自分自身を不幸な連中のひとりとはみなしてはいない。
つまり,たとえぼくがかなり深刻な困難な状況に置かれているとしても,それがぼくの人生において陰うつな日々だとしても,誰にもぼくを不幸な人のひとりとみなおしてほしくないし,それは正しくないだろう。(1883年3月)

ラッパルト宛
 ぼくは,ひとたび主題を感じると,あるいあh,それを理解するようになると,それについて,3枚,あるいはそれ以上のヴァリエーションで描いてみようとするのが常だ。人物であろうと風景であろうと,いつでもありのままに描き出そうとするし,細部を描出しすぎないように最善を尽くしさえする。というのも,描きすぎると夢想的な要素が奪われてしまうからだ。テルステーフやぼくの弟やほかの人は,「これは何だい? 草かい? キャベツかい?」と言う。ぼくは,「何かわからなくてよかった」と答えている。(1883年6月)

371
 色彩の法則は,言葉で言い尽くしがたいほど素晴らしいものだ。それは何よりも,決して偶然に起こることではないからだ。近頃では,われわれはもはや根拠のない奇跡を信じていないし,あちこちに気紛れに,そして乱暴に行ったり来たりする神も信じていない。しかし実のところ,自然にさらに尊敬と賞賛と信念を抱き始めている。

|

« 鳥山敏子著『賢治の学校』 | トップページ | ゴッホの手紙から(日本編) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/105430/64986035

この記事へのトラックバック一覧です: 「ゴッホの手紙」から:

« 鳥山敏子著『賢治の学校』 | トップページ | ゴッホの手紙から(日本編) »