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チューリップの芽

170228 これまた,野村さんの学校の理科室での一枚。
 仮説実験授業《花と実》の授業書の中に「チューリップにも実がなり種ができると思いますか」という問題があります。球根しか知らない子どもたちは,花が咲いた後に実ができると思うけど,見たことないし…と迷うことになります。
 ここで,わたしは,以前とっておいたチューリップの実とタネを用意して見せてあげます。
 そして「このタネから花を咲かせるまでには,七年くらいかかるんだよ」と言って終わっていました…が,野村さんは違います。
 ちゃんと,そのタネを植えて育てているんです。写真がそれです。
 タネを見せるだけで,そのあと保管している私とは違って,ちゃんと育てているのが流石です。
 タネを撒いてしまうと,またとらないと…と思って大切にしているようじゃ,まだまだということですね。

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ミョウバンの結晶

170227_01 野村さん退職記念の会の受付の傍に,とてもきれいな結晶が飾られていました。それは,ミョウバンの結晶です。こんな大きなものができるまでには、相当な時間がたっているはずです。よくもまあ,根気よく続けられたものです。
 翌日,今,勤務されている不動寺小学校の理科室も見せてもらいましたが,そこには,今,育てている途中のミョウバンがありました。子どもたちの名前の書いてあるケースもありました。
170227 子どもたちも野村さんも,結晶の形がきれいな正八面体になるように,毎日,理科室に来ては,この容器の中の結晶を回転させているそうです。気の遠くなる話だなあ。しかも,いつもきれいな飽和ミョウバン水溶液も準備されていました。不必要な結晶ができると,そこからいびつな形になってきますからね。
 根気がないと,なかなかここまでできませんね。

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元湯「石屋」

170226_01 講座のあとは,1時間ほどレポート交流をして,深谷にある宿泊場所の「元湯・石屋」という旅館へ行きました。
 ここの旅館には,子どもが生まれたときに記念して建てたという能舞台までありました。旅館の中も,なんとも和風にあふれていて,私好み。気持ちのいい旅館です。

170226_02 温泉は,pH8.5のややアルカリ気味の湯で,茶色くにごっています。ここの湯にはマンガンイオン(Mn2+)が含まれていて,それがバクテリアでMn4+になり,二酸化マンガンとなって析出してきます。露天風呂にいくと,確かに黒っぽいよごれのようなものが石についていて,これが,二酸化マンガンのようです。このあたりは,湯に浸かりながら,四ヶ浦さんに伝授していただきました。温泉に入っても,研究できるんです。楽しいなあ。のぼせるなあ。
 館内には,昔のふりこ時計や,近くの遺跡から取れたという鏃や石器,さらには,なぜか,珠洲焼もありました。前田家由来の漆器もあったりして,ま,とにかく,お宝満載の展示物でした。

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退職記念の楽しい講座に参加しました

 今年の3月で退職される先輩の退職記念の会に参加してきました。研究会の先輩なのです。うちの研究会の退職記念の会は,飲み会だけではありません。
170225_01 今回も,午前中から午後にかけて,楽しい授業に関する講座がありました。退職されるN先生と,昨年,一昨年と退職された先生の楽しい実験講座を受けました。
 どの講座も,頭が刺激されたり,驚きの実験があったりと,あっという間の楽しい時間でした。
 上の写真は,静電気の講座の一コマです。帯電した2人の間で,アルミホイルで作ったボールが振動するという実験を見せてくださいました。手を近づけるのを怖がっていた2人の姿が印象的でした。真ん中にいるのが,退職されるN先生です。
170225_02 真ん中の写真は,「しゅぽしゅぽ」という講座の一コマです。ボールを使って作ったマグデブルグ半球を使った実験をしているところです。この講座をしてくださった貝田先生は,昨年,小学校現場を退職されましたが,現在は,「サイエンスヒルズこまつ」に勤務していて,子どもや大人相手にいろいろな科学実験などの講座をしておいでます。出張もするそうですから,どうですか?
170225_03 一番下の写真は,四ヶ浦先生の講座の様子です。参加者の子どもたちが,氷の上の水晶玉とガラス玉の様子に釘付けになっています。四ヶ浦先生は,最近,宮澤賢治の文学に現れている化学実験を再現して,賢治の文学をより深く理解できないかと,研究を続けておられます。今回の講座では,その研究の一端を紹介して下さいました。実は,私が今一番注目しているのが,この四ヶ浦さんの研究です。私も,賢治が好きなので,これからの展開がとても楽しみです。この講座の内容も,サイエンスヒルズこまつで,予定されています。
 そのあと,とっても雰囲気のいい旅館に移動しての懇親会でしたが,これは,また,項を温めて紹介します。

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春が来た~春が来た~どこに来た~

 

170222 行きつけの魚屋さんへ行って,お魚を注文。
 魚をさばいてもらっている間,ヒマなので,お店の奥にあるストーブのところへ行って,近所のおばちゃんと話ながら温まっていた(これはいつものこと)。
 花瓶には,木の枝が数本入っていて,一部,花も咲いていた。近所のおばちゃんが,土手にある木から枝を折って持ってきてくれたそうだ。
 今咲いているのは,サクラとウメだといっていたけど,ちょっと花びらが変わっている。ネコヤナギも2種類あった。他のサクラもあった。
 今年,真っ先に春が来たのは,この魚屋さんの奥の部屋だった(^^;;

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板谷英紀監修『宮沢賢治』

 ちょっと,知人に刺激されて賢治関連の本を再読しています。まずは,マンガから…。

 宮澤賢治の資料館で手に入れた地元の新聞社が発行する「マンガ岩手人物シリーズ」の一冊です。
 マンガ自体はけっしてうまいとは言えませんし,話の展開も,淡々としています。
 所々に,賢治の作品の言葉がちりばめられていますので,「あー,この時代にこんなのが書かれたんだな」ということは伝わってきます。
 巻末にある年表はスッキリしていて、便利です。年齢も書かれているので,賢治がいくつの時に,どうしたのかがすんなりと分かります。
 板谷さんのあとがきは,すっきりしていて賢治をよく捉えていると思います。「心象スケッチ」についての部分を一部引用しておきましたので,お読み下さい。

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FAXで!

 これまた,うれしい話。
 学校へ行くと,学校長が,
「××先生,きずなさんから,FAXが届いていますよ。読んだら,私の机に戻しておいて下さい」
と言うではないか。「きずな」というのを聞いて,わたしは,てっきり,校区にある農事組合法人の「きずな」さんのことかと思い,
「なんで,今頃,私に用事があるんですか?」
と聞いてみた。すると,
「いや,転校していったきずなさんからですよ。」
と言うではないか。「えっ? あの子から…」
170221 もちろん,自分でファックスをしたわけではなくて,母親が出したものだけど,前書きにあった母親の文章には「きずなが,どうしても早く届けたいといったので,FAXで失礼します」というような内容が書かれていた。
 実は,2年生みんなで作った「手作りかるた」は,きずなさんの分もあるのだ。「手作りかるた」には,しっかり「きずなさんの転校」が入っていて,子どもたちの方から,「きずなさんにも送ってあげようよ」という提案が出てきた。
 このかるたは,まだ送っていないが,以心伝心かな。
 今度,お手紙を付けて送ってあげることにしよう。

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虫めがね

170220 いつだったか,朝,校舎に入ると,生活科を教えている2年生の女子がやってきて,
「せんせー,虫めがね~」
といって,銀色のモールで作った作品をくれた。わたしは,レンズのない穴からのぞいて,
「ホントだ,よく見えるなあ」
と返事をした。
 職員室で,担任に聞いてみると,教室で,モールが流行っているらしい。
 何気ない日常に,ありがとう!
 

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珠洲市小学生卓球大会

170219 今日の午前中,市の小学生を対象とする卓球大会があり,うちの学校の子どもたちも参加するということで,応援に行って来ました。
 この卓球大会はけっこう以前から続いています。卓球大会は,野球やバスケとは違い,普段は違うスポーツをしている子たちが集まってきます(以前は,通年,卓球を練習している小学校の子どもたちもいました)。ただ,学校では,冬季に卓球台を出してあげるのは,いつの時代も同じです。
 うちの学校からは男子だけの出場でした。団体は,見事優勝。個人戦も,白熱した試合があって興奮しながら応援しました。
 この大会には,親子ダブルスがあります。今日の大会でも,親子のペアがいくつか出ていました。その中に,私が教えた子(親が子どもの時)の親子が3組もあってビックリ。時代は,第2世代へと引き継がれていくんですねえ。

 実は,今日はお寺さんの檀家の男性の新年会があったのですが,私は,こちらを優先しました。あっちへ行っていたら,今頃,寝てますな。

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サークルの例会でした

170218 今日はサークルでした。
 4名の参加でした。
 卒業アルバムや卒業文集の編集の話から,レクリエーションの実際(写真)まで,幅広い話題が出ました。
 私からは,浜田寿美男さんの本から学んだことや《おもりのはたらき》の授業のこと,手作りかるたのことなどをまとめていきました。
170218_02 また,《おもりのはたらき》で使える可愛いグッズも紹介しました。
 

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万両の赤い実が…

170217 FBの友人が話題にしていたので,うちの玄関前の万両を紹介します。
 一昨年の暮れに買った万両一鉢。昨年の秋にもきれいな実をつけてくれたので,玄関前のモニュメントにしました。そして,なかなかのできばえで正月を迎えました。
 ところが,1月の大雪の際,赤い実の半分ほどが,一気に消え去りました。これは,鳥の仕業に違いないと思って,玄関の中に避難。でも,せっかくの緑と赤が,薄暗い玄関の中では映えません。
 そこで,雪がなくなったのを見計らって、再度,玄関前に出したところ,2日間でごらんのような状態に。ヒヨドリの仕業かな。
 代わりに,大きめのフンが置かれていました。
 おとなりの庭にあるナンテンの実も,1月の際の雪の時に,いっぺんになくなりました。

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ヨットづくり

170216 2年生の生活科で,《おもりのはたらき》という授業をしています。
 これは,昔懐かしい,やじろべえ・おきあがりこぼし・よっと(帆掛け船?)を作りながら,それらがうまく動くためには,どんな条件が必要なのかを考えていくものです。
 授業も終盤にさしかかり,今日は,ヨットを作りはじめました。
 理科室に眠っていたフィルムケースを胴体として,千枚通しに穴をあけて,竹串を差し込みます。三角形に切った画用紙を付けてできあがり…とは行きません。このままだと,ヨットは倒れてしまって浮きません。そこで,「おもり」の登場です。自分の作った帆に合わせたおもりはなかなか見つからずに四苦八苦。
 今日は障りだけ。来週には,1時間使って,ちゃんと浮くヨットを作ります。楽しみだなあ。
 写真は,「来週やるからね」と言ったにもかかわらず,昼休みも試行錯誤して,ついに浮かせた子どものヨットです。色が塗ってないヨットは,私の試作品です。

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水槽立ち上げ1年半にして…

170215_01 以前からの趣味に,熱帯魚飼育があります。現在,最終的には,90㎝水槽一つだけインテリアとして水草水槽にして育てています。
 ただ,この水槽。なかなか前景草がうまく育ってくれませんでした。
 最初は,ヘアーグラスショートで覆おうと思ったのですが,苔対策に入れたヤマトヌマエビが抜き取ってしまうので,なかなか株が広がりませんでした。
170215 そこで,今度は,リシアを導入。これはとても元気に育ってくれるのですが,リシア自身がもともと浮き草なので,重しをしておくことやトリミングをこまめにしないと,全体が浮き上がってきます。そしてバラバラになったリシアが浮上して,水槽内にちらばり,掃除が大変。もっと手を抜けないかと…。
 2週間ほど前に,リシアを全部撤去して,グロッソスティグマ(写真)を植えました。こちらの方は,ライナーをのばして元気に育っています。盛んに酸素も出していて,なかなかのものです。
 クロゴケ対策もあるし,肥料もやらないと…でも,苔が生えるのは嫌…と。
 とにかく,手入れをしないで長持ちさせる方法を考え出そうと,ずっと手入れを続けている状態です。
 たぶん,だから趣味っていうんでしょうね。
 

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LEDの水槽照明

170214_01 先月,これまで使っていた水槽の蛍光灯の1本が切れちゃったので,この際,LEDに買い換えました。LEDの照明は,とても明るくて,しかも,軽い。スマートです。
 そのお陰か,これまで,あまり酸素の泡が見えなかった水草からも,小さな泡が続いて出てくるようになりました。対したものです。
170214 右の水槽は,残った蛍光灯が1本と2本のLEDとで照らされています。
 思えば,この水槽を手に入れたのは,今から10年以上も前のことです。水槽って長持ちするんですねえ。

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メランコリアの魔方陣・続編

Melancholia03 さて,前回紹介した魔方陣。他にも秘密が隠されていると言いました。
 まずは,数字の和。右のように,4つの数字を足すと34になるグループが,5カ所あります。すごいでしょ。さらに,一番下の段の、真ん中の2枚の数字を左から読むと1514となりますが,これは,この銅版画が制作された年=1514年を表しているようです。ここまで来ると,魔方陣ではなく,魔法陣のような気もしてきます。

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メランコリアの魔方陣

Melancholia01 6年生算数の教科書に,「メランコリア」という銅版画が載っています。この銅版画は,アルブレヒト・デューラーという人が1514年に作成したものだそうです。
 天使が憂鬱そうにしている図もなかなかおもしろいのですが,そんなのを見せるために算数の教科書に載っているわけではありません。
 この天使の後ろ壁には,いわゆる魔方陣と云われる数字の列が並んでいる掛け軸がかかっています。(よく,魔法陣と間違う人がいます。正方形の方です。)
 4×4のマスに,1~16の数字が一回ずつ使われていて,その配置は,どの縦の列の数の和も横の列の数の和も,斜めの数の和も同じになるようになっているのです。
Melancholia02 教科書では,この数字の列を穴埋め式にして,空いた場所にどんな数字が入るのかを考えてもらうようになっています。
 4×4の魔法陣は,下の写真のようになります。
 実は,この数字の列には,縦横斜めの和以外にも,まだ,秘密が隠されているのですが,分かりますか?
 ちなみに,縦横斜めの数字の和は,いずれも34になっています。
 答えは,あとで…(^^;;

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「思い出かるた」を作ったよ

170207 2年生の生活科を担当して,そろそろ1年になろうとしています。以前にも,2年生の生活科を担当したことがありますが,その年には,訳あって,途中(半年後)から6年生担任となり,指導する教科も変わっちゃいました。だから,1年,まるまる生活科をするのは,今年度がはじめてということになります。私もまだまだういういしいなあ。
 さて,そんな生活科も,そろそろまとめの季節です。
 どんな風なまとめにしようかと考えて,結局,全員で「思い出かるた」作りに取り組むことにしました。
 一人が4~5枚作って,50音(実際は46音)を全て用意しました。「読み札」の言葉を考えるのも面白かったです。だんだん「ひらがな」が少なくなってくると,むずかしくなるので,みんなで,いろんな言葉を出し合いました。
 できたかるたを使って,3回しました。
 子どもたちにも,写真大の大きさにして,分けてあげようと思います。
 家族でやれば,家庭でも2年生のことを復習できますからね。
 

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浜田寿美男著『意味から言葉へ-物語の生まれる前に』

 本書は,『発達心理学再考のための序説』の続編であり,季刊『発達』に1990年~1995年まで連載した20回分の文章に加筆したものである。これ以降の連載も,あと2冊の単行本になっている。
 さて,一般的に,人は,言語を獲得してのちに,それを使って他者とのコミュニケーションを取るようになると思われているが,それは本当だろうか?
 考えてみると,赤ちゃんには,言語を獲得する前から,すでに,周囲の人とのやりとりの世界が存在している。母親からは,母国語でのいろんな呼びかけがあり,赤ちゃんの発する言葉(喃語のようなもの)に対しての反応もある。赤ちゃんは,「周囲の人とのやりとりの世界を次第に膨らませ,相互に共有の意味世界を広げて行」くのであろう。だから,まだ言葉とは言えないような「単発的に発せられた語すら,その前後の行為のやりとりの文脈を考え合わせれば,それ自体がすでに対話の一コマなの」だと言えるのだ。
 以上のことは,云われてみれば当たり前の事である。むしろ,言葉というのは,こういう対人関係があってこそ,育まれていくのであろう。
 こういう当たり前のことを確認することこそ,現代の子どもの置かれている状況を見直すことができるのだと著者は云う。
 

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キアーラ・ロッサーニ文/オクタヴィア・モナコ絵『ゴッホ-風がはこんだ色彩』

 ゴッホの伝記絵本。
 ゴッホが4歳下の弟テオにあてた手紙が大量に残っています。本書は,それをもとに構成した伝記です。
 この手紙自体は,別の本で読んでみたいと思います。

 絵本のタッチもなかなかステキです。絵本には「風」が吹いています。文字(絵)通り「風」です。

 訳者の結城昌子さんの言葉を紹介します。

「この本は,残された手紙をもとに書かれた物語です。フィンセントの狂おしいまでの絵画に対する情熱が伝わってくるようです。物語に登場する「風」は,フィンセントの内面の声かもしれませんし,芸術の神さまの声かもしれません。」
 

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見てきました「この世界の片隅に」

170204 身近な知り合いから,そして,FB友達から「是非,見るべき」と教えられていたアニメ映画を見てきました。サークル仲間のSさんから,「けっこう観客が多いかもよ」と云われていたので,1時間以上も前に受付をし,中央あたりの座席を確保した後で,買い物をしながら待っていました。確かに,終わって見れば,映画館には,これまであまり見たことのない数の人たちがいました。
 映画は,広島のとなりの軍港であった呉を舞台にしたもので,主人公の女性の生きざまが,何とも言えない(ネタバレになると困ることもあって(^^;;)描かれかたで,伝わってきます。
 戦時中という日常。いつも暗い顔もしていられないし,その中でも明るく振る舞うこともあるでしょう。「戦時中=よくない」という私たちの常識からすれば,その戦時中を日常として生きるしかなかった人たちも,ずっと「私の人生は全くよくない」という思いを持って生きるしかないのか…それだと人間は生きる力が出ません。
 そのあたりの微妙な部分を描写を感じながら,「でも,やはり,私たちの幸せは戦時中にはないんだ」と思いました。
 与えられた日常を精一杯生きることも大切なんですが,なにか,今ひとつ,やりきれない気持ちもあります。
 私には,この映画と重なって見える世界があります。
 それはちょうど,ハンセン病患者が隔離施設で一生過ごさざるを得ない中で,その自分ではどうすることもできない日常に対して,最初はとても悲観的になるけれども,そのうち,その塀の中でいかに活き活きと生きるかを考え,ついには,新しい文学をつくっていく人も出てくる…という逆説とも重なって見えてくるのです。塀の中で,元ハンセン病患者たちから素晴らしい文学が生まれたからといって,この隔離政策が正しかったと言えるはずはない。
 この映画を見たあとの、少しだけの違和感は,どっか,このあたりにあるのかもしれません。

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鈴木みつはる著『ゴッホ』

 図書館から書いて読んでみました。

 フィンセント・ファン・ゴッホの子ども向けのマンガ伝記です。
 今年,「ゴッホとゴーギャン展」を見に行ったこともあって,「そういえば,ゴッホって耳を切ったり,自殺したりしたんだったっけなあ」と常識的な知識を思い出したのです。なんでそういう風になったのか,チョット気になったので,読んでみました。
 ゴーギャンとの短い同居生活の後で耳を切り落とすのですが,それは,ゴーギャンとの不仲がキッカケだったようです。
 また,自殺したのは,弟のテオが病気になったのは「生活費のほとんどを面倒見てもらってきた自分が至らぬせいだ」と思い詰めていたようです。
 37歳で自らその一生を終えたゴッホの作品で,存命中に売れたのは,たったの1まいだったとか…。

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なっつかしいメンコ

170202 低学年の子どもたちが,地域の老人たちから「昔あそび」を教えてもらうという老人との交流会があった。高学年が別の行事に出かけていたため授業のなかった私も,せっかくだからと担任と一緒について行くことにした。
 最初は,カメラマンに徹っするつもりで参加したのだが,会場にあったメンコを見て、予定変更。何十年かぶりに,メンコをしてみた。最初は,なかなか裏返らなかったが,数回やると,ちゃんとメンコを裏返すことができた。「昔取った杵柄」って奴だ。
 思い返せば,メンコをする時は,いつも家の裏のお寺さんの山門の下でやったものだ。山門の下は,きれいなコンクリートがしてあって,しかも屋根もある。風もあまりこないので,とてもいい場所だったんだろうなあ。
 私は,メンコだけではなく,お手玉にも挑戦したが,残念ながらできなかった。お手玉は,一度も出来たことはない。

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浜田寿美男著『発達心理学再考のための序説』

 またまた浜田寿美男氏の本を読みました。レビューを書いたので読んでみてください。

 著者が,季刊『発達』に連載してきた「発達心理学セミナー」のうちの最初の16回分(1986年-1990年)とその雑誌に掲載した論文を組み入れ編集された本です。このシリーズは,4冊の単行本として出版されています。私は4冊目を先に読んだのですが,最初から読みたくなって,1冊目から手に入れて読んでみたというわけです。著者はあとがきで「私にとって発達関係の単著としてこの本が最初のものになります」と書いてあるように,まずは,この本から読むのが,著者の研究の流れを知るうえで大切なようです。
 浜田さんの本は,これで8冊目となりますが,これまで,彼の研究の流れは,今ひとつわかりにくかったのですが,このシリーズを読むことで,発達心理学への研究のこだわりなどが見えてきたような気がします。発達心理学の研究者でありながら,これまでの発達心理学が目指している方向に違和感を感じる著者。読みするメルうちに,その違和感がどこから来るのかが,少しずつ明らかにされてきます。
 本書で,私は「できるとするは違う」という言葉に注目しました。
 私たちは,とかく〈子どもたちができるようになること〉と目指して教育をしています。しかし,考えてみると,その子が〈できる能力〉を得たとしても,その能力を使う=〈する〉かどうかは,また,別の問題です。〈する〉ためには,その場の雰囲気や人との関係性が大切になってくるからです。
 考えてみると,学校現場にいる者にとってば,これは当たり前の事です。とたえば,教室でも,よく「〈できる〉はずの生徒が,手あげて発表してくれない」と嘆く教師がいますが,それは,〈できる〉ことと〈する〉ことの違いから来ているわけです。なぜ,手を挙げて発表しないのかは,まわりの人間関係が大きくものをいうことが多いというのも,ほとんどの人が経験していることでしょう。
 「できること=能力」として,これのみに重きを置いてきたのが,これまでの教育ではなかったでしょうか。まさに,点数をあげるという能力主義が跋扈してきたのが,日本の教育界だったのです。残念ながら,この状況は,今でもあまり変わっていません。
 今後,アクティブ・ラーニングとかで,子どもたちが,がんばって〈意見表明できる〉ようになることをめざすようですが,そこでもやっぱり〈教室の中でできる〉ようになっても,それを、〈日常生活でする〉かどうかは,全く分からないのです。
 著者の一言,紹介します。
「能力発達に絶大の期待を寄せる人々が世間にひしめくばかりで,その当の能力を用いて生活世界をどうふくらませ,豊にしていくのかを見ようとしない奇妙な現実がはびこっているのではないでしょうか。」(本書236pより)

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