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浜田寿美男著『ピアジェとワロン-個的発想と類的発想』

 ワロン関連の著書,3冊目。ようやくワロンの全体が分かりかけてきました。でも,まだまだ。

 第1部がピアジェが描いた世界(批判的再検討を含む),第2部がワロンが描いた世界(ピアジェと比較しながら),そして第3部は,発達心理学者としての2人の理論の違いがどこにあり,それはどうして生まれたのか,2人の理論の現代的な意義は何かなどについて,筆者の考えが描かれています。
 ピアジェについては知っていたつもりでしたが,よく考えてみれば,ピアジェの著書そのものをしっかり読んだこともないことに気づきました。ただ,なぜか,ピアジェの発達理論や科学的な認識に至るまでの段階論は,知っているつもりになっています。これは,これまでも算数科や理科の理論本,さらには児童心理学関連の本を読んできたからだと思います。
 一方,ワロンのことは,1か月前までは名前くらいしか聞いたことがなく,ピアジェと同時代を生きていたことさえも知りませんでした。
 個人の認識を単なる個人の中のこととして取り扱うのか,それとも,社会的なつながりの中で取り扱うのか,そんな違いが,ピアジェとワロンにあるのではないかというのが,2人の違いに対する,最も簡単な私の捉え方です。

■「純粋状態における子ども」とか「純粋な能力」などというものはない,あるのはつねに状況の中の子ども,時代の中の子どもであり,なんらかの対象に関わって用いられる能力なのである。これが,ワロンの発達論の大前提である。(本書140ペ)

 いくら,個人が,個人内部で科学的な認識を得たとしても,それを彼がどのように現実世界に結びつけながら,どの方向に向けて活かしていくのかは,まわりの環境に大いに左右されるはずです。そもそも,その認識を得るまでにも,どのような環境に育ってきたのかが大きく影響を受けるのも言うまでもないことでしょう。以前ジーン・レイヴ他著『状況の埋め込まれた学習』(佐伯胖訳,産業図書)を読んだことも思い出しました。

■「できないときどうするか」という,私たちにとってごくごく日常的な問いに対して,ピアジェ的枠組みを代表する今日の発達心理学においては,単に「できるようにする」というトートロジカルな答えでしか応じられない。しかし,これはまことに奇妙なことではないか。そこに現代社会特有のイデオロギーを看取してもあながち不当とは言えないように思える。つまり,冒頭に触れた〈個体能力論的イデオロギー〉がこういうところに如実にあらわれていると言ってよい。(184ページ)

 ワロンの「姿勢・情動論」は,上記の疑問に真摯に向き合ってくれそうです。

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