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山本七平著『「空気」の研究』

 半藤一利・佐藤優両氏の対談で取り上げられていたので読んでみた本です。

著者 : 山本七平
文藝春秋
発売日 : 1983-10-25
 一時期,KYという言葉が流行っていたことがあった。今じゃあ,小学校の子どもも普通に使う日本語?になった。
 つい先日も,自分がクラスに撒いた言葉に,誰も追随しなかった時,「空気読めよ~」とそれを続けることを半ば強制する発言をする女子がいた。しかし,だれもそれについて行かない…実は,「空気」を読めなかったのは,その言い出しっぺの女子の方なんだけど…。
 そんな「空気という捉え方」が,実は,日本人の持ち味であることを知らされて愕然とした。著者によると,善くも悪くも,日本人には,これがあるのである。先の戦争に対して,後世の人が「国力を科学的に見れば負けて当たり前の戦争をやって,昔の人はバカだったなあ」「一億玉砕なんてあり得ないだろう」「東京が襲撃されているのに,まだ勝てるとは…」というのは簡単だけど,当時の人にしてみれば「そんな空気だったのだ」「そういうふうにしか進めなかったのだ」ということになる。それは,後から見ると「責任回避」でしかないのだが,そのときには,その選択肢しかなくなるのだ…それが「空気」なのだと。
 山本は,このような「空気」は,戦前だけではなく,現代でもあるという。公害問題で,「こうあるべき」となったからには,それに反することを言いだしにくくなり,「わかっちゃいるけど,言えないよ」となることがあるのではないか。より科学的に考えるよりも,公害反対という空気で考える(というか,合わせる)。
 これは,現代でも,たとえば放射能の問題に関して言えることかもしれない。私自身が〈空気の中にいるのだ〉ということを意識していないと,より実証的な結果が提示されても,間違った判断をしてしまう危険性があるということだ。

 「現人神と進化論」が,ダブルスタンダードとして成立している日本人の姿は,西洋から見ると,大変奇妙に見えるのは間違いないだろう。一方,西洋に目をやると,キリスト教信者である科学者が多く存在していて,自己矛盾も感じていない人が普通だが,これも日本人から見ると奇妙に映る。
 結局,一人の人間の中には,いろんなものがごちゃ混ぜになっていて,それが矛盾なく存在していることが多いのだ。その矛盾(あるいは空気の存在)をだれかにつつかれて気づかされてはじめて,生き方を見つめ直すことになるのかも知れない。
 本書の内容は,他のレビューでも触れられているように,大変難解である。とくに,後半の部分は,キリスト教を巡る歴史をある程度知っていないと,ついて行けない。
 世界史の知識が乏しいと,こういうときに,困るんだよなあ。
 今の日本の政治の流れを見るときに,一度,読んでおいて良い本だ。当時の国民がバカだったから,戦争を始めたわけはない。だから,いつでも,同じような事が起きるとも限らない。「空気」に対抗するのはとても難しいことだから。
 そうそう,「水を差す」という言葉も取り上げられていた。ある空気の中に水を差す…すると,違う空気に支配されるのではないか…。これもまた,深く考えるべき,日本人の言葉である。

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