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はだかの王様

 遠山啓著作集『数学教育への招待』より,「はだかの王様」から抜粋します。算数・数学教育を根本から作り替えようとする遠山さんの意気込みが感じられて,背筋がピンとします。

ひとつの学問は,もろもろの偶像を破壊することからはじまる。ウソの権威,仮面の権威,なんとはなしの権威,そうしたもろもろの権威を台座からひきおろして,それに自分のモノサシをあててみることから学問ははじまる。学問の世界では,研究上の実力以外のいかなる権威も認めるべきではない,大学教授であろうがなかろうが,指導主事であろうがなかろうが,それは問題ではないのである。
数学教育学なるものを建設しようとする人がちがまず第一になるべきことは,アンデルセンの子どもたちのように,「王様ははだかだ」と叫ぶことである。(同著作,178p)

 数学者から数学教育者へと,その活動を広げていく遠山氏が,新しい学問の創造へ向けて吠えている文章です。こんな文章を書くというのは,当時,それだけ,これまでの権威者たちが,難癖をつけて,新しい学問(子どもの認識に寄り添った算数・数学教育の創造)のじゃまをしていたという証左でもあります。
 私たち一般の教員も,一研究者として授業をしているはずです。その証拠に毎年のように「研究授業」というのをやらされています。ただ,このときの「研究」の意味が,本来の研究に値するとは思えませんが…。
 しかし,文字通り,ほんとうに授業研究をしようとするときには,指導主事と同等な立場で議論する必要があります。が,現場では,指導主事の言葉を最後にお聞きするだけです。文科省の権威を小脇に抱えて現場にやってきているだけです。最近,ますます,その傾向が強くなってきているようで心配です。
 〈一緒に研究する〉という態度を,指導主事にも持ってほしいものです。現場の教員も,「お聞きする」のではなく,「意見をしっかり交わす」くらいの気概をもった教員でありたいです。
 う~ん,久しぶりに過激な文を書いたなあ。これも,遠山精神が私に憑依したからかな…。

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コメント

salirさま
お久しぶりのコメント,ありがとうございます。

日本教職員組合は,もちろん,労働者としての組合です。ただ,聞くところによると,他の国の教職員組合よりも,労働条件だけではなく,授業研究そのものにも力を入れている組合らしいです。確かに,教育研究集会というのもありますから。
ちょっと見るとQCサークルのようにも感じますが,学問の自由を求めて行動しているところが,違います。ただ,子どもたちから拒否されるような授業を作ることはないですが(ないと思っています)。

まあ,ここでは,現場の「授業研究」「授業づくり」のことを言っています。現場は,組合員ばかりではありませんので,ここでは,組合員かどうかは,あまり関係ないのです。
一般的に「研究する」というときには,お互いが知識を出し合い,仮説を立て,実践(子どもに授業)をしてみて,よりより教育内容や教育補方を見つけていく…という姿勢が何よりも大切なのですが,最近の流れを見ていると,どうも,そんな感じではないんです。
出た結果に対して,いろいろと解釈したり,実践する前の当人の予想を強引に変えさせたりしているような気がしてならないんです。

投稿: 管理人 | 2014年7月29日 (火) 04:49

学問の専門集団ではなく、労働者としての組合になったのが、他ならぬ「日本教職員組合」ですからね。

憲法にも学問は如何なる権力からも保護されることが明記され、大学教授は学問の自由が、保障されていますが、公教育の先生方は労働者としての権利を選びました。

当然、学問で守られる対象ではなく、労働者として守られる対象です。だから、労働者として勤める必要性があり、それが日教組が学問の自由を担保できなかった問題でもあります。


STAP騒動で、ネイチャーの査読員よりも手厳しく見た御仁たちが数多く日本にいる間は、さまざまな視点の意見や考え方に触れることは難しいように感じますね。

投稿: salir | 2014年7月28日 (月) 20:02

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