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「将来のために」という善意

131207  今、いや、以前から、学校は、
「将来のために」
「大人になったから困るから」
「学力が低いと苦労するのは子どもだから」
「今はイヤでも、いつかは役に立つから」
という善意で、いっぱいです。
 そして、それは、確固とした「善意」から言われているので、なかなか反論はできません。
 でも、それは本当でしようか。
 『仮説夜話・1976年』(つばさ書房、ガリ本)という本で、板倉聖宣さんは次のように述べています。

 真理の基準は≪子ども≫でしょ。一応理屈の上では「今の子どもが大きくなったときのことが一番大事だ」というのが今までの理屈の組み立てです。ところがこれは、うまいことに実験できないからどうなるかというと、主義主張が前面に出るんです。

 そのとおりですよね。今、子どもに与えたものが、将来、本当に役立つかどうかなんて、全然わかんないですよね。だって、実験結果は、ずっと先にならないとわからないし、そもそも、大人になったときに、その本人が「誰から何を学んだから、今があるのか」なんてはっきり分かるものでもありません。さらには、内田樹さんがいうように、学ぶのは本人の意志で決まるのであり、<こちらが教えたと思っていること>と<本人が学んだこと>とは、けっこう違うんですから。だから、大切なのは…今なのです。そう、今でしょ。

 それでぼくは、未来のことを見通すことも必要だけれども、今の子どもの〈子どもとしての人権を考えることなしに未来のことを考えられるか〉というんです。〈今の子ども〉を問題にすれば、これは教育としてはっきりできる。それで、〈決着をつけよう〉ということです。

 改めて、〈たのしい授業〉を求めていきたいと思うのです。

 

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