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不毛な議論はつかれます

 今日は,若者の校内研究の指導案検討会。校内での研究授業の,です。
 うちの学校では,今まで,校内の研究授業では,あまり,事前の指導案検討会をしたことがなかったんです。もちろん,となりの先生などとは話をしたりしてますよ。そんなんじゃなくて,「つきあわされる指導案検討会」ってやつです。
 まあ,だいたいが,指導案を配って,授業をして,整理会をして終わり…というパターンだったんです。
 で,わたしは,それでいいと思っているんです。
 ま,校内研究をやらざるを得ないのなら,お互いに授業を実際に見て,「授業担当者が子どもにたいして,どんな授業をしようと思ったのが」「それがどの程度達成できたのか」が分かればいいと思うんです。
 「指導案(授業の予想)」の段階から,外野から,とやかく言うことは,あまり得策ではないと思うのです。あまり回りが,とやかく言うと,うまくいかなかったときに「おれは本当は,こうしたかった」という気持ちがずるずると続くのは好きじゃないです。また,逆に,「どうせみんなで考えた指導案だから」という,責任感のない雰囲気が出てくるのも好きじゃないんです。
 でも,最近は,「問題意識を共有するために…」なんていって,指導案から複数で検討しています。でも,それぞれの「問題意識」は,人それぞれ違うんです。共有できたように見えても,それは,「声の大きい人の意見」だったりするんです。
 仮説実験授業の授業書も複数で検討していますが,それは,「その話題に乗りたい」という者たちが集まってのことです。ここでは,最初から問題意識が同じ人たちが集まっているから成り立つんです。しかも,「そんな知識は必要ないということまであってもOK」いう大前提があります。
 だから,それとこれとは,いっしょにできないんです。

 ところで,今日は,その延長線上で,ちょっとした教育原理の議論になり,相手の人が「楽しい授業ができないときは,余計,将来役立つようなことを身につけてさせてやりたい」なんて言う話が出てきて,私と真っ向から対立。わからんでもないですが,若者の前での議論だったので,わたしもついつい本音を言っちゃいました。
 でも,今日は,4人という少人数だからよかったようなもんだけど,学校では,あまり本音を言わないようにしようと思います。舌っ足らずだと,わたしの真意が伝わらないですからね。

 そもそも教員は,「いやいや勉強してきた内容でさえも,しっかりと自分の人生設計にいかしてきた人」たちが多い(私もその一人)ので,「我慢して強制しても,きっと将来,感謝される」と勝手に思っている人が多いんです。
 現場から体罰がなくならないのと同じ根っこが,この発想にあるのです。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

地域にもよりますが、選挙の票読みまでしている教職員組合もあれば、茶飲み友達のように、とりあえず全員加盟を推奨していろいろ相談しようというところもありますね。どうしても、政党というのは支持基盤に左右されてしまうので、結果として日教組を(とりわけ自民党などは)叩きますね。逆に日教組が支持母体の政党は文科省を叩くんですが。。。

私は、「保革連合」についてはやや後ろ向きです。選挙互助会と化しましたが、「民主党」という政党がまさにそのような政党であったからです。もちろん、あまりに減額な政党にするべきだとも思いませんが。
選挙制度もそうなんですが、どうも、政治家をコマとして扱い、「代議士」ではなく「代表者」という意識に国民もなってしまいましたからね。ですから、話題となる新人議員というのが、「まぁ、レベルが低い」というか「自主性のない」場合が多い。マニフェストや公約という実際対応できないものにこだわって、共倒れして行く議員が多いこと。

そういう意味では、中選挙区(大選挙区)くらいの方が、多様な考えを反映していたし、議員たちの就職活動に時間が割かれることはほぼなかったように思います。

投稿: salir | 2013年10月24日 (木) 23:22

salir様
 私の書いた文章に出てくる人たちは,もちろん,保守の方々の嫌いな「日教組組合員」です。「日教組は,一枚岩だ」と思っている人はいないだろうけど,話をすると,「こんなに違うのか」って改めて思います。
 一応,みんな,教師としての給料をもらっているので,私の含め,自分の意見をイヤほどもっているのです。それを,人様に向かって明らかにするかどうかは,ちがいますがね。

 「両極端は一致する」という言葉があって,極右と極左は,<反米>で一致したりします。
 一方,「派閥争い」なんて,近いときのわずかな違いが,余計に仲間割れを起こしたりするんですよね。以前の学生運動がそうでしたよね。今の政党の再々再々再編成なんかも,似たり寄ったりです。
 私は,そういうことに嫌気がさして,実は,「保革連合実現」を夢見ているんです。
 そうなれば,「政党結成時の理論」ではなく,仮説実験の意識で動き始めるような気がするんです。授業も政治も,仮説実験で見ていきたいものです。

投稿: 管理人 | 2013年10月24日 (木) 21:05

これは、原発の左右(反対派・推進派)の議論にも似ているような気がしますが、どうも、劣情に走りがちです。
議論はそもそも、相手の考えを確認する場でもあるので、違って良いのですが、とくに学者や先生には、他人を強要するエキセントリックな人が少なくないですからね。

役に立つ授業というのは、さすがに共感できませんが、なぜそうするのが良いかと考えるようになったのかは、興味深いところです。

私たちのような保守を理想に考える人の間でも、認識が違うと直ぐさま縁切りを言い出す人がいます。本来保守とは、日本の国柄や古くから伝わる伝統、さまざまな意見を丁寧に聞き、慎重に招来を見据える思想なのですが、どうも最近の政府も、また大人たちも、保守と標榜しながら、人身攻撃や側近に似偏った人ばかりを集めたりして…。困ってしまいます。

投稿: salir | 2013年10月24日 (木) 14:31

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