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中一夫編『板倉聖宣セレクション1 いま,民主主義とは』

 全国大会で手にする本は,いつも刺激的です。毎年,買ってすぐに読み始めるのですが,いつも,いちいち立ち止まってじっくり味わいたくなる本が多いです。
 今回も,そんな本の中から,1冊,紹介します。普通に手に入る本です(いわゆるガリ本ではありません)。

 今後,編集出版される予定の「板倉聖宣セレクション」(著作集というか選集のようなもの)の第1巻目です。
 どの文章も,一度は読んだはずなのに,とても新鮮に感じる文章がたくさんありました。
 「それは,なぜか?」と考えてみました。
 一つは,その文章を,〈今の時代に合わせて考えながら読んでいるからだ〉と思います。「多数決原理」「浮動票」などは,まさに,ここ数年来の選挙の結果を思わせます。また,「湾岸戦争」「9.11」など,その後を知ってから以前の文章を読むと,〈板倉さんの社会のとらえ方が如何に的確であったか〉がわかります。
 もう一つは,編集者である中一夫さんのちょっと変わった「編集」のおかげです。
 著作集や選集というものをそんなにたくさん読んだわけではないので強くは言えませんが,わたしの感覚では,とても新しい編集でした。それは,〈発表された当時の文章の一部分を取り出して紹介したり,他の論文から,関連する文章をつけ加えたりして,新しい読者がはじめて読んでも分かるように編集されている〉ということです。また,〈各部のはじめに,編者の短いオススメの言葉が書いてある〉ことで,編者の問題意識までしっかり伝わってきます。
 今後,このシリーズで,板倉さんから学んできたものを再確認できることと期待しています。
 領土問題や戦争責任問題,憲法改「正」問題など,いろいろやかましい世の中ですが,それらの問題を考えるときの指針として,生きてはたらく文章がいっぱいです。

 あれ,この本,発売日は,明日だ!! 大会で,早く販売してくれたのですね。仮説社さん,ありがとうございました。
 編集者の中さんからは,大会1日目のナイターで,「セレクション」編集記の話をお聞きすることが出来て,これまた刺激的でした。「大量の板倉論文を分類した一覧表」も頂いたので,自分が,板倉論文をふり返るときに便利だろうなあと思いました。

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コメント

 わたしはけっこう主張が強いし,思想的にも凝り固まっている部分があるので,自分でも困っています。それは,これまで自分がおかれてきた環境から来ていることだろうし,仕方がありません。だからこそ,「自分の意見も,一つの仮説である」という態度で臨まないといけないとも思っています。
 本書には,「最後の奴隷制としての多数決原理」というお話もありますので,ご一読ください。「民主主義だからいい」なんてことは毛頭思っていません。
 なぜ,あの人はああいうふうに考えるのか…そんなことを考えるのは,わたしも好きです。そこに,社会の法則性が見えたりすると,うれしくなりますしね。

投稿: 管理人 | 2013年8月 5日 (月) 21:09

私は、実は意見や結論が違うこと自体はどうでも良いと思っています。

それよりも、なぜそのように考えるようになったのか、そのような結論がでる公式自体を知りたいのです。
そういう話から、自分が述べた意見に何が足りず、あわせて相手には何が足りないか、という反省と指摘をしたい、
と考えています。

しかし、「(ある種の)思想的なもの」や「何が何でも」というものを理解することはできません。
なおかつ、そんなものに浮動票をのっけても本質的な解決にはならない、と思います。


民主主義というのは「手段」に過ぎません。
封建主義よりもある見方をすれば「たちが悪いもの」だと思います。

どこの国でも「勝ち馬に乗れ(多数派の賛同を得る)」ということは行われますが、
私は、そういうものを冷ややかにみています。

投稿: salir | 2013年8月 5日 (月) 11:48

 珠洲原発計画が持ち上がったときに雑誌やレポートで反対意見を言って運動をしていたわたしは,地元の推進派の新聞折り込みのビラに「とんでもない教師がいる」と実名で書かれました。「教師を辞めなさい」という圧力もありました。ある元校長は,「人権委員会に駆け込みなさい」と相談してくれました。
 わたしは,そこまでしませんでした。しっかり議論するという「冷静な判断」は,推進も反対もできないことがおおいです。議論で相手をやっつけようとするからです。
 議論しても,相手の意見を変更させるのはなかなかむずかしい(テレビの討論はだから面白くない)。それよりも浮動票をどちらにむかわせるかで,態勢は決まってきます。結局,一般ウケするために,どのようにいうのかってことになってくるんですね。ま,これぞ民主主義なのでしょう。
 わたしは,若い頃は,ついつい正面から議論しがちでしたが,最近は,聴衆のことを考えて発言するようになりました。
 salirさんは,予想の違う方と,どんな風に議論をされますか? 

投稿: 管理人 | 2013年8月 5日 (月) 06:42

ところが、「世の中をうまく進めるため」につくったタブーや体制に対する、検証や反省がないんですね。
国際政治の場合は、ある妥協が外交メッセージとして「そこまでやってもOK」と受け止められてしまうことが多々あります。
それが、今日の「戦後日本における外交敗北」「現在の領土問題」「戦後処理」などにつながっていると思うんですね。
「靖国問題」もそうですが、ある対外的な指摘があって、それに応ずると、結果的に翌年からより厳しい要求があり、それを飲まざるを得なくなる・・・という好ましくない状態を続けていますね。


国内政治に目を向けると、確かに、(改憲や核に関する)やや国民的にも機運の高まりがはじまりましたが、まだまだ未熟ですし、もっともっと議論していく必要があります。
ただ、国際政治とは異なり、国内政治においては、やはり現実に即して「妥協すべき点」が多々あると思いますね。
護憲論者のご意見自体を否定はしませんが、ある問題意識に対して、単に「反対」という姿勢だけを示していても、限界があると思います。賛成・反対関わらず着地点を模索する作業は絶対にするべきだと思います。
あわせて、原発議論もそうなんですが、関係のない罵倒やレッテル貼りがついてくるので困ってしまいます。
純粋に賛成と反対に対立するだけなら構いませんが、
憲法で改正賛成の立場にとると「戦争をしたがっている」「人権を制約しようとしている」という、全然本質論とは関係のない話でそらして、感心のない人に変なイメージを植え付けさせようとする風潮は、たくさんありますね。

歴史認識や安全保障に関わる内容については、タブーがたくさんありますね。対外的な批判は、これは各国の戦略もあるのでやむを得ないとしても、国内から圧力がかかったり、批判されることがあります。これはきちんと議論すれば、決して国益がマイナスになるわけではないですが、例えば、「近現代史(とりわけ、大東亜戦争などの前後)」は、学校で学ぶもの・イメージとして伝えられるものとは大きく異なることに行き着きます。日韓併合では、一方的に日本が調印を押し迫ったわけではありませんし、一般的に言われる植民地支配とは異なり、基幹産業を置きましたし、ハングルがきちんと教えられたのも日本統治による結果ですね。それが気に食わなかったと韓国人が思うのは自由ですが、もし日本人がそれを否定的に捉えると、対外的には韓国に隙を与えるわけですが、そちらが良いかのような論評が多くされ、素直に日本の功績を評価する人は一般の地上波では追放され、企業や国から最悪の場合は、支援が受けられなくなるケースは、いまだに多々存在します。「ナチス発言」で問題視される麻生財務相ですが、これだって全文を読めば、「反面教師として捉えよう」という真摯なものなのに、「ナチスを例に出すこと」だけで批判の対象ですね。
これが、GHQによる洗脳教育の賜物ですね。戦前をすべて賛美したり、ナチスのやり方が正しかったとは誰も言わなくても、取り上げただけで、謂れのない批判を浴びる状態・・・。

でも、原発事故の際、あるジャーナリストが当時の菅直人元首相の事故対応についての批判をしたところ、「逮捕する」という圧力をかけた、という話は、あるローカル番組やラジオ放送、ネット配信では有名な話ですね。

投稿: salir | 2013年8月 5日 (月) 01:24

 タブーは作ってはいけない…基本的には賛成です。
 が,その一面,タブー(といえるのかどうか)は,世の中をうまく進めるために,なんとなく作られるものではないでしょうか。
 夫婦間であっても,タブーってあるような気がします。「それを言っちゃあおしまいよ」という寅さんの文句もあるくらいだし…。
 民主主義だからタブーが消える…のではなく,民主主義だから,人の輪を決定的に壊さないために,あるなかよし集団には「タブーが作られてくる」のかも知れません。それからはみ出たヤツは,いじめられたり…。
 一党独裁や王政の社会には,とってもわかりやすいタブーがあるけど,それらは,革命でもない限りひっくり返りません。
 民主主義のタブーは,もう少しやわらかいので,なんとなく人付き合いのため…いざこざを起こさないように…なんていう力学が働いているようです。

 ただ,改憲論なんて,すでにタブーじゃないし,核保有論だってタブーじゃないでしょう。そんなことを話題にすることに対して反対する人はいるけど,だからといって,タブーじゃないですよね。
 今の日本に,昔の社会主義国のようなタブーってあるのかなあ。みんな,いろんな意見を言っているんじゃないですか。それで逮捕もされないし,それなりに取り上げるマスコミや取り上げないマスコミがあるし…。

投稿: 管理人 | 2013年8月 4日 (日) 22:19

日本の民主主義の本質的な問題は「占領なきプレスコードの存在」にあります。「民主主義とは何か」と言いつつ、片方では「タブー視する風潮」が根強くありますね。民主主義を正常に機能させる為にはタブーは作ってはいけないのですがね…。
誰も、「戦争がしたい」「領土を広げたい」「アメリカの言いなりになりたい」「国民の自由をないがしろにする」などと言ったこともないし、そんな意図はまったくないのに、改憲議論になると、なぜかそのようなイメージを先行させる勢力があります。それは、まさに「ある概念があるからこそ成せる技」としか言いようがありません。

領土問題にしても、相変わらず、実効支配している国が「自分の国のものアピール(抗議やデモ)」をしているのですから、何におびえているの?という感じですね。
戦争責任についても、講和条約を締結した時点で対外的な問題は完全にすべて解決されることになっているのですが、国家の代表が追悼施設でお参り・お祈りすると、「抗議・デモが起こる」というわけのわからないことが相変わらず続いていますね。既に参拝された閣僚の方についてデモされないのでしょうか?(笑)
主権国家として認めている自由については、その国において自由が制約される事はあってはならないことなのですが。

投稿: salir | 2013年8月 4日 (日) 16:06

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