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中沢啓治著『はだしのゲン わたしの遺書』

 本書は,昨年12月末,73歳でこの世を去った『はだしのゲン』の作者・中沢氏の最後の遺書(自伝)です。
 アニメ版の『はだしのゲン』を,これまでに何度見たでしょうか。学級の子どもたちにもよく見てもらいました。教室においてあった『はだしのゲン』のマンガは,これまでに2セットもぼろぼろになって,捨てちゃいました。今は,学校の図書館にしっかりした本があるので,それを見ているようです。子どもたちは,8月6日の出来事とその後のゲンの生き方を知ろうとします。
 本書には,天皇制に対する厳しい意見もしっかり書かれています。戦争を始めたのもやめたのも昭和天皇だったのに…戦争を始めたから天皇がわるい。戦争をやめたから天皇は偉い。その両者が天皇の戦争責任をうやむやにしてしまったのでしょう。

『はだしのゲン』の著者の自伝です。糖尿病,白内障,肺がんと,晩年になって,少しずつ病魔に冒されるようになった中で書かれた自伝です。
『はだしのゲン』は,わたしの遺言です。…と中沢さん。
「しっかり受け継いでいきます」って,本書を閉じながら,思わず決意しました。
中沢さんには,別の『自伝』もありますが,本書の方が子ども向けです。

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

> 「どの国も特殊じゃないか」と思うのです。
それこそが、国柄であり、文化・伝統なのです。
例えば、日本では「節約」が美徳とされます。
しかし、海外では比較的「お金を払っているのになぜ、節約なんかするの?」と言われるのがオチです。
この差はどこから生まれたか、と言えば、日本には外敵がいなかったからです。
お殿様や天皇陛下は、質素倹約につとめ、庶民もまた節約することで、みなが豊かに暮らせたのです。
ところが、多くの国は、奪い合いが常で、節約して貯めても奪われる、だったら最初から使ってしまえ、という考え方の方が幸せに暮らせたのです。

> それは国と国の付き合いだから。
確かにそれもひとつでしょう。しかし、「君臨すれども統治せず」の天皇というのは、表現は不適当ですが「お飾り」に過ぎません。外国の首脳にとって陛下に挨拶をするより、政府との駆け引きの方がよっぽど大切です。
日本人が永きに渡り大切にしてきた存在であるからこそであって、これが女系容認になったりすれば、途端に軽々しく見られるでしょう。


「向こう三軒両隣」「遠くの親戚より、ご近所さん」
私の世代ではほとんど「関係ない」と言われがちですが、私が大切にしていることは、
まさに、基本はここにあります。
戦争も喧嘩もいじめも、いずれも自らを理解していないから起こるのです。

「諸国民の公正と信義に信頼して」なぜ、日本人の安全と平和を外国人に託すのか?
私にはサッパリ理解できません。

進歩的・革新的な意見(戦後保守的な考え方)を否定はしませんが、
しかし、私たちは、戦前からの日本というものもあわせて相続しているわけで、
ときに時代に応じて改革する必要はあるでしょう。ただ、占領下の体制をいつまでも続けていくのは、不自然だと私は思います。

投稿: salir | 2013年2月13日 (水) 03:35

「危険な考え」というのは,salirさんの,
「天皇・皇室というのは、非常に特別であり特殊です。」
という発言に対して言ったものです。

「どの国も特殊じゃないか」と思うのです。相対的にはほとんどの国の歴史が特殊でしょう。あまり知りませんが,たぶん…。
先のsalir さんの発言に「絶対的な特殊」を感じたので,そう発言したまでです。間違っていたらごめんなさい。

どの国も「特殊」な歴史を持っているし,それによる「特殊な国民性」が育まれているはずです。

その「特殊な歴史の歩み」の中から,「社会的な法則」を見つけ出そうというのが「社会科学」ですが,その「社会科学」が眉唾物でしかありませんしね。マルクス主義はその実験だったのでしょう。あまりにも一般化しすぎて科学ではありませんでした。ノーベル賞を取った経済学者の「法則発見」は,科学なのでしょうか??

話題がそれました。

どうして「天皇に深々とあいさつをするのか」というと,
それは国と国の付き合いだから。そして,ある程度距離があるから…。
近ければ近いほど,天皇に深々とあいさつできない人たちもいるということを,忘れてはいけないと思うのです。それがゲンの作者だったりするのでしょう。

戦争が起きるのは,利益が近いからですね。
ケンカが起きるのは,とてもよくつきあうからです。
いじめが起きるのは,よく知っている仲だからです。

でも,近いからこそ,本音を言い合うことができる。
その本音で,これからの日本の進む道が決まってくれればと思っています。

しばらくこのままで行くのか?
憲法が改正されるのか?
議員の数では,そんな方向もあり得る時代となりました。
それが国民の総意なのか?

「民主主義」が一番いいとは思っていません。
私の好きな論文に「最後の奴隷制としての民主主義」というのがあります。
「民主主義」というのは諸刃の剣になることもあるとは思っています。

投稿: 管理人 | 2013年2月12日 (火) 20:57

まず、「危険な考え」とはどういう意味でしょうか?
私は別に、他国を傷つけて蔑ませてよいとか、その類の発言は一切していません。
同時に、他国を排他的にみたり、扱ったこともありません。
(中国や韓国との話題のときとは違うのではないか?と指摘されそうですが、国と国が仲良くすること、というのは「目的」ではなくて「手段」だからです。だからこそ、互いの理解が必要で、ひとつやふたつの相違でとやかくいうのは間違っているのです。)

「地球市民」的なお話をされていたのに、なぜ、天皇や権力者を「敵視」するかのような見方をするのか私には疑問です。
「時の権力者が作った神話」にどうして、各国首脳は会おうとするのでしょうか?深々と挨拶されるのでしょう?

そんな、天皇や皇室の在り方を、軽々に我々国民が触れられるものなのか・・・。
それ以前に、国民が決めることができるのか。


ジャン・ジャック・ルソーは、『社会契約論』で次のように述べています。
「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分はやむを得ず民主主義を選ぶのである」
ここでいう君民共治は、君主が決して国民大衆に対して搾取者でなく、国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のこと。戦後の日本が失ったものですね。だから、容易く「民主主義」に縋るしかない、というね。

投稿: salir | 2013年2月12日 (火) 08:40

「事実として」独裁者じゃなかったというのは本当でしょう。
同時に「事実として」時の権力者に様々に利用されてきたということも言えるでしょう。

中沢さんはもう一つの『自伝』の中で,さらに激しく天皇に対して〈不敬〉な言葉を吐いています。それは戦争体験者だからこそ言える言葉だと思います。
戦後,天皇がどんなに責任感のある言葉を話そうが,「全く責任を取らなかった」という事実そのものを直視する姿勢しかとれないのが,戦争体験者たちなのだと思います。もちろん,そうじゃない人もいますが…うちの親父も戦争体験者だし。

「日本の天皇と国民の関係が特殊だ」と思うこと自体,神国日本につながる危険な考えではないでしょうか。イギリス王室と国民の関係も特殊でしょう。未だに「王国」を名乗っている国もありますが,それも特殊でしょう。みんな自分の国は「特殊」なんです。
天皇制は,時の権力者が作り出した「神話」で,その権威を保っているのですから。

「特殊」だからだいじにするのか,「特殊」だから,こんご普遍性を求めてフラットにするのか?
それこそ,国民が決めることです。
今の憲法の「天皇制」を触るのはむずかしいですね。

投稿: 管理人 | 2013年2月12日 (火) 06:07

「天皇陛下」の見方というのは、さまざまありますが、
事実として「独裁者ではない」というのが、私の見方であり考え方です。

むかしから、日本の天皇は「君臨すれども統治せず」であり、陛下は国民・日本の繁栄・健康をただただ祈ってきました。
大東亜戦争後は、批判の対象になりがちですが、「戦争の全責任は私にある。私は死刑も覚悟しており、私の命はすべて司令部に委ねる。どうか国民が生活に困らぬよう連合国にお願いしたい。」
マッカーサー元帥に述べた天皇陛下の言葉です。


天皇・皇室というのは、非常に特別であり特殊です。
だからこそ、GHQは、本質的に触れ、解体することはできなかったのです。どこかの異国の国民を拉致する独裁者とはまったく性質が違いますし、多くの哲学者も日本の天皇と国民の関係をみれば、「民主主義」をすすめることはなかったでしょう。

投稿: salir | 2013年2月11日 (月) 08:09

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