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生垣聞蔵…『柳高三十年』より

120623 本棚を整理していたらしい老母から,「私の本棚からこんな本が出てきたよ」と手渡されたのが『柳高三十年』と書かれた記念誌でした。柳高とは柳田農業高校のことです。発行日は昭和44年(1969年)11月17日,同窓会事務局となっています。
 この記念誌の1ページ目には,写真のように建学の祖・生垣聞蔵氏の銅像とその碑に刻まれている碑文が出ています。実は,二日前に生垣聞蔵を紹介した時に,碑文を読み取ってみようと思ったのですが,ところどころ碑の文字がはっきりしなくて困っていたのでした。記念誌にはそれがしっかりと書かれているので,これで解決しました。
 碑文から,聞蔵の経歴を拾ってみると…
・慶応3年(1867年)5月10日 珠洲郡飯田町生まれ
・明治12年(1879年)      柳田村生垣家に入る
・昭和13年(1938年)7月6日 逝去
 (碑文に見える「易簀(えきさく)」とは,学徳が高い人の死を敬っていう言葉)
120623_02 ついでに,寄付をした当時の新聞記事も掲載されていたので紹介しておきましょう。
 昭和七年七月十五日の新聞です。
 「全財産卅數萬圓を居村の為に投げ出す」とあります。当時の30数万円って,今のお金にするといくら位なのでしょうか?
 『値段史年表』(朝日新聞社)によると,昭和六年の総理大臣の給料が月額800円と出ています。ちなみにその頃の小学校教員の初任給は45円~55円くらいだそうです。

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