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秀吉の地震対策…太閤柱

120519 とっても大きくてかっこいい東福寺の三門。その4隅にあるちょっとみっともない柱が気になりませんか。右の写真を見るとわかりますね。2階から1階の屋根に向かって1本。1階の屋根から地面に向かって1本の柱が,すこしずれるような感じでついています。
 これって一体なんでしょう? 美的にはあまりよくないようですが…。
 これ,実は,地震に対する補強対策なのです。
 東福寺三門前の「解説」には以下のように書かれていました。

 大屋根の四隅の角柱は,桃山城崩落の天正大地震による三門の傷みを天正13年秀吉が行った大修理の際に補足した柱で,通称「太閤柱」と呼ばれている。

 そこで,三門の2階にいた係の女性(この日は三門特別拝観ができた)に,
「この柱って,科学的に見て,耐震対策として,意味あるんですか?」
と聞いてみました。
「それなりに意味はあるそうです。」
って答えでした。
「本瓦拭きの屋根がとても重いので,それを支えることができるそうです。」
って。なるほど…。
 さて,看板にある「天正大地震」というのは,天正13年11月29日(1586年1月18日)午後10時過ぎ,日本の中部で発生した巨大地震のことで,複数の活断層が同時に動き,広い範囲に大きな被害を及ぼした地震だっただろうと言われています。
 このとき,秀吉は,たまたま,琵琶湖西岸の坂本城にいました。大きな地震にびっくりして,大阪城に逃げ帰ったと歴史書には書かれています。
 そのとき,東福寺の三門にも被害があったのだと思います。

 しかし,看板にある「伏見桃山城」の建設が始まったのは1592年(文禄元年)であり,完成したのが1596年(慶長元年)なのです。その城が,それより前に起きた天正大地震に崩れるわけがない…。
 私が調べたところによると,伏見桃山城を崩した地震は,慶長伏見地震と呼ばれている地震で,それは1596年9月5日に起きています。このとき,謹慎中だった加藤清正が真っ先に秀吉の元に駆けつけたことが,歌舞伎にもなっています(地震加藤)。
 だとすると,この看板は間違いなのでしょうか? よくわかりません。
 あとで東福寺に聞いてみましょうかね。

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