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『福島原発人災記-安全神話を騙った人々』

 あの日から1年をむかえる最近になって,少し冷静に,原発関連の本を読むことができるようになりました。今までわざとその話題は避けていて新しい本は読んでこななかったのですが,今,その分,すごい勢いで福島原発事故関連の本を手に取っています。

 本書はフクシマ原発震災後に書かれた「責任追及」本です。
 あの事故があってから,しばらくは原発関係の本さえ読む気がありませんでした。が,そのうち「以前から危険を指摘していた人の本」をもう一度読み出して,〈誰の予想があっていたのか〉を確認していました。多くの人が,非常電源喪失事故や津波の可能性を指摘していたことを知りました。
 一方,たとえ原発反対派の書いた本であっても「それみたことか」みたいな後出しじゃんけんのような本は読みたくなかったのです。
 でも,本書は,どちらかというと後出しじゃんけんのような本です。
 ここまで事故をひどくしたのは誰だったのか,徹底的に実名入りで書かれています。著者も書いているようにいわゆる推進派からのネットのコピペ情報がいっぱいあります。責任追及がうやむやになっているような現状にある中で,やはりこういう本も必要なんだろうなと思います。
 文章表現はユニークなので,楽しんで読むことができます。一番しんどいのは,推進派の文章です。なんであんなに堅いんだろうなあ。そこは斜めに読んで下さい。

 津波は天災だったけど,福島原発事故は人災だ-といった意見も聞きますが,津波「被害」は人災の面もあるような気がします。

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コメント

私個人は「必要で危険なもの」という認識ではいましたが、日本には有能な技術があるわけですから、それを駆使すれば・・・と思いましたが、そういうことを駆使できる「人」がいなかったこと、それだけがハッキリしました。

正直、この国の国民は「豹変」します。何らかの出来事をキッカケに一気に空気や情勢がかわり、危険な方向へと動くことがあります。
私が、なぜ「いま憲法改正すべきだ」といったりするかもその一つです。有事になってから有事のことを冷静には考えられないし(歴史的に見てもそうした憲法はみんな危険なものになっている)、国民性からしても豹変し危険な方向に走る恐れがあるから、いま考えるべきことだと思うのです。


「ダマされる庶民」については、もちろん学校だけの責任にする気はありません。
でも、間違いなく学校にも責任はあります。こちらのブログで「教育」が取り上げられた際に、「教育勅語のように、家族の文言が必要」といった旨の内容を投稿しました。
いまの子どもたちにおかれている環境というのは、「学校と個人(=児童・生徒)」です。だから、少し気にくわないことがあると、教育委員会に問い合わせたりする親御さんがいたりします。
まず一義的には家庭が、その子の責任や(その場においての)立ち位置を教える。それで、不足な点を学校が補う。そちらの方が、よほど学校の負担も軽減すると思いますが、現実にはそちらの方向には進んでいません。家庭が家庭として機能していない現在、「地域」が叫ばれても、あまり子どもたちにとってピンとこないと思います。


不思議なもので、学校では「再生可能エネルギーはない」と物理で教えているのに、国会では「再生可能エネルギーを検討する」と真逆なことを言っている・・・。「そんなこといったら教育に悪い」とそれこそ、先生方は声を発するべきなのに、「「太陽光パネル」や「風力」は自然にやさしい」なんて学校でも言っちゃっているのですから、困ったものです。。。

投稿: salir | 2012年3月24日 (土) 18:08

 原発事故が起きたとき,ずっと原発に反対してきた私は,とてつもない無力感に襲われました。そして原発関係の本などはほとんど手に取る気も起きませんでした。それは,原発反対運動自身が,この事故を起こす前に原発を止めることができなかったという無力です。珠洲原発反対運動は,珠洲原発を止めただけで解散してしまいました(それが設立用件だったのだからそれはそれでしかたがないことだけど)。
 今また,そういう方向で進んでいるような気がして…でも,脱原発への「8割」に,期待したい。
 「ダマされる庶民」を作ったのは教育かもしれませんが,それは学校教育だけの責任ではありません。学校教育にあまりに多くを期待するのもおかしい。
 ただ,教育の可能性に賭けたいと思うのは,教育現場につとめている私の本心ですが,残念ながら,そんな自由度が今の学校教育現場にあるとは思えません。
 それでもなお,自分の頭を使って考える人間がひとりでも多くなるように,教育実践に努めていくだけです。
 自分のテリトリーでやれることは精一杯やっていきたい。
 このブログもその一環です。
 salirさんとこうして話をしているのも,その一環です。

投稿: 珠洲たの管理人 | 2012年3月20日 (火) 08:45

「庶民をまたダマス」と簡単におっしゃいますけれども、そんな「人」をつくりあげた、教育・教育関係者は猛省していただきたいものです。


おっしゃるとおり、技術は「安全だ」と断言できるものではありません。しかし、それを使用するか否かは利用者の判断に委ねられます。それは他でもない「庶民」が決めるのです。

私は、なにも原発を進めなきゃならないものとは思っていません。ただ、「もっと被害を最小限に抑えることができたのではないか」と問うたとき、反対派による積極的なアプローチもなかったと思わざるを得ないのです。

原発廃絶とともに、ヨウ素剤配布や逃げ道の確保、食料・飲料水の備蓄について声があがらないのはなぜなのでしょうか。また、過去の原発誘致においても、そうしたことが議論にならなかったのはなぜでしょう?


自動車や飛行機と原発では、そのリスクの規模は違います。
しかしながら、そのリスクをうまく回避する為の技術・創意工夫が議論にすらなされないのはどうしてなのでしょうか?

はやく「民」が「主人」にならねば、「安全神話」に似たような話はたくさんあるのですから・・・

投稿: salir | 2012年3月20日 (火) 00:41

 日本の現状は,残念ながら,今まで通りあまり安全とは言えない状態の原発(断層が近くにあるのに確認さえしないなど…)のまま運転再開へと進んでいます。
 安全な原発はないのです。安全な飛行機もないのです。少しずつ安全になっていくのが技術です。ある程度を越えれば,そういう技術は「Goサイン」なのです。
 飛行機や車は,安全が保障されなくても,数百人が被害に遭うだけですが,残念ながら原発はそうはいきません。
 今度,事故が起きるまで,ストレステストという専門用語を使って,庶民をまたダマスのでしょう。
 日本国民が「のど元過ぎれば…」にならないことを祈るだけです。世論調査の8割は,いつまで続くかなあ。

投稿: 珠洲たの管理人 | 2012年3月19日 (月) 20:58

私は、日本の原子力を危なくしたのは「推進派」「反対派」両者にあると考えています。

例えば、反対派の方に「原発を続けても辞めるにしても核廃棄物は必ず出る。これはどうするのか?」と問うても、まともな(?)答えはありません。
とにかく推進されたい方に「どこをどうしたら、安全な稼働ができるのか?」と問うても、ちゃんとした回答はほとんどありません。


両者ともに、あまりに前のめり・信じることにあまりに積極的すぎると思うのです。

以前も書きましたけれど、私は安全な原子力発電の推進という立場をとっています。つまり、いまの原発は危ないから辞めて、一旦手を引いて、推進されたい方はとにかく基礎研究(人体と放射性物質、その他の影響をきっちりと検証)していただきたいと思います。そうして、晴れて有能なものができたら、それはそれで賛成する、という立場です。
逆に、何にも成果が上げられなかったら、別にこだわる必要はないのでは?というくらいの見方です。

投稿: salir | 2012年3月19日 (月) 00:07

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