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高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』

 野田総理も沖縄へいって謝罪をしています。前衆議院選で政権交代を実現した民主党政権が解決しようとした普天間問題は完全に暗礁に乗り上げています。
 首都圏で使うデンキを作ってきた新潟や福島。その結果としての原発事故。被害をうけるのは福島の人たち。脱原発の方向を目指そうとした管政権は,志半ばにして去らざるを得ませんでした。

 「経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。『靖国問題』以来の6年ぶりの書き下ろし新書!」と本の帯に書かれています。

 日本国にあり,国民全体がその恩恵をながら,それを維持していくときにある人々の犠牲の下でしか維持できていないもの…それが,沖縄の米軍基地であり,地方に任された原子力発電所です。
 ここで恩恵と言いましたが,本当に恩恵を受けているのか,あるいは恩恵と呼んでもいいのかどうか,はなはだ疑問ですがね。
 「福島と沖縄」とタイトルにありますが,本書の4分の3は福島のことについて書かれています。
 二つのことは,政権交代後の内閣でどうにか解決しようとしましたが,結局「玉砕」してしまいました。米軍基地も原子力発電所も,それほどわたしたちの社会の内部の奥深くにまでしみこんでいるのでしょう。

 高橋氏の本は,わかりやすくて読みやすいです。引用されている本も多数あり,それらの本も読んでみたくなります。読書のはばを広げてくれる本でした。
 それにしても,犠牲になっているのは,わたしたちの能登も…なんでしょうね。

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コメント

今朝は扱いませんでしたが、
今後、原発に対する「サイバーテロ」も想定出来ます。

以前申したかと思いますが、
これからは、同じ服・同じ目的・同じ旗に集まらない
そんな人たちが、自衛隊の相手となります。


日本社会を不安にさせることだけが目的の悪質なケースに、既に各国が、頭を悩ませているときに、日本人は、軍を持たないとしても、誰が一般市民を救い、また、未然に防ぐのか。

国民は主人です。だから、公務員は奉仕者な訳です。
誰が何とかしてくれるなんて発想は、国民はめしつかいに過ぎないと言うことになります。

投稿: salir | 2012年3月 1日 (木) 18:20

少し、視点を変えます。

多くのドライバーが「任意保険」に加入します。それはどうしてでしょうか?事故を起こすから、事故を起こす自信があるから?でしょうか。
或は、事故を起こさないのなら「自賠責保険」もそもそも不要でしょう。


「年100ミリSvまで放射性物質は心配がない(むしろ浴びた方が良い)」などとおっしゃるお医者さんも居ます。
だったら、「今回の事故は何にも問題はなかった」ということになります。

グローバル化の失敗(金融不安など)によって、いまの世界情勢はむしろ「遠心力が働いている状態」にあります。
「世界は近づいている」のではなく「世界は遠のいている」のです。

先の話に戻りますが、無保険車で事故に遭遇しても、目を瞑られる。年100ミリSvでも納得できる「国民」「世論」であるなら、それこそ軍は不要であるでしょう。
でも、無保険車は気に食わない。年100ミリSvなんてとんでもないと言いながら、外国に対しては目を瞑りましょう・・・というのは、理解できることなのでしょうか。

マザー・テレサは「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」と話しています。
以上の矛盾を抱えている日本人が、世界になんの奉仕ができるか?非常に私には疑問です。

投稿: salir | 2012年3月 1日 (木) 08:56

そうですか,軍隊は必要ですか。
昨日の新聞で,自民党の憲法改正案が出ていましたが,本当にあんなのが,これからの世界を作っていくのでしょうか。
確かに世界の国ぐににはまだまだ混沌としていて危ない国もあったりして,軍隊なしで本当に大丈夫か…と思わないでもアリマセンが,「世界を信頼して軍隊を持たない」という意識を広めることが大切だと私は思っています。
 アインシュタインたちが夢見た世界国家のようなものができればなあ。そのときには,いろんなものの国内自給率なんて高めないで,お互い,大いに依存し合って生きることが近道だったりして。

投稿: 珠洲たの管理人 | 2012年3月 1日 (木) 06:46

日本は「タテマエ」によって、本質を見失っていますからね。

「民主主義」という立派な制度であっても「民」が「主人」でない日本の風土では、なかなか犠牲の解消は進まないでしょう。


例えば、原発大国のフランスは、平然と街の脇に「原発」が置かれています。それでも国民の多数・ほとんどは理解を示しています。
日本のように「国」「自治体」、家庭でも「原発は安全」と御触があっても「それはあくまで国が言っているだけで」というふうに複雑なのでは、「大型・根幹的な事業」に向かない国民性だからかもしれません。


私はやや右寄り(保守)の考えをしているのですが、米軍基地の問題というのは、最終的には日本人がこれまで置去りにして来たツケとも言えると思います。
多くの学校では「戦争しないのだから軍は必要ない」と教えます。でも私は「戦争しないために軍を(他の国は)持っている」と思います。
「台湾海峡ミサイル危機」というのが平成8年に起こりました。台湾で総統の選挙が行われている際、中国が台湾に向けミサイルを演習として飛ばそうとしていました。そのとき、米軍が艦隊を台湾海峡に向けたところ、危機は脱したわけです。

「安全保障」ひとつとっても、“事実”をみなければ、米軍基地の問題、拉致の問題などなどまったく解決させることはできないのです。

投稿: salir | 2012年2月29日 (水) 17:27

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