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たくさんのミニ太極旗(テグッキ)とタプコル公園

110831_01  鐘路(チョンロ)沿いの景福宮と昌徳宮の間に,タプコル公園という小さな公園があります。この公園に寄ってみるのも今回の旅行の目的の一つでした。ここは昨日紹介した朝鮮独立運動発祥の地として市民に知られている場所です。
 鐘閣(チョンガク)駅を降りて東に向かうと上の写真のようなたくさんの太極旗が枝についたモニュメントが置かれていました。これは明らかに「愛国心」の現れです。日本で,こんな場所があるとすればどこでしょうか? 
110831_02  そのモニュメントをすぎると,いかにも韓国風の門が現れます。タプコル公園の入り口です。額には「3.1門(サ・ミルムン)」と書かれているようです。
 日本人2人で入っていくので緊張しました。公園の中には地元の人たち(ハラボジたちが多い)が,腰を下ろして語らっていました。
 公園には,さまざまな記念碑が建っていました。それぞれどんな意味があるのかは『観光コースでない韓国』で調べてあります。
110831_03 ここは,植民地(日韓併合)時代の1919年3月1日,ソン・ピョルヒをはじめとする独立運動家が集まり独立宣言を読み上げ,日本からの独立運動の口火を切った場所です。この運動は,死者7509人,負傷者1,5961人,逮捕者4,6948人を出して終わったそうです。独立運動のようすを表す銅板レリーフも10枚ほどありました。
 今までいろんな場所へ観光に行きましたが,こんなに緊張して回ったのは初めてでした。
 私も,日韓両国の過去の歴史を背負わざるを得ないんだなあと思いました。

 この公園では運が良ければ,ボランティアガイド(と言っても地元のお爺さん)がいて日本語で説明してくれることもあるようです。
 ここには国宝第2号の十層の石塔もあります。

ソウル市観光公式サイト「タプコル公園」
http://www.visitseoul.net/jp/article/article.do?_method=view&art_id=11146&lang=jp&m=0004003002017&p=03

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

大戦の後は、どの国であっても被害者意識はあるでしょう。
私はトコトン議論して、都合の悪いこともときには言わないと、解決の手段も見つからないし、現状の打開はできないと思います。生々しいし、地道ですっきりなんかしない。でも、それが「外交」というもので。日本の外交は「波風を立てない」ということをあまりに意識し過ぎます。
でも、戦略であったり国益を守る為には、少々相手国を怒らせても仕方がないんです。
そんなことに、新しいとか古いとかはありません。

いまの日本って、国の為に国民は犠牲にならなくても良いんです。でも、「平和を愛する諸国民」が誤った行動を行ったとき、私たちは黙って死んでいくしかないということが適切なのでしょうか?嫌だからって護身の為にピストルや戦車を購入することが適切なのでしょうか?いや、そんなのは、もはや「国家」がないのと同じです。仲間や家族を守ろうとして抵抗したって国民が死ぬのには変わらないんです。

仮に、国策でなく勝手に民間企業が原発を作って稼働させ事故を起こしたとしても、犠牲になるのは国民です。原発で甘い見通しでこれだけの大惨事を起こしておいて、国のこと・国民が願うことも「生易しい見通し」ではいけないと思うんです。

国際的な会議において、日本が強くあたろうと、弱く出ようと、不利な結果を出せば、困るのは必至です。そんなのは、強い・弱い関係ありません。
ナショナリズム・愛国心というのは、むやみに相手国の刺激になることはさせてはいけません。でも、「日本はこういうときには一歩も引かないんだ」という姿勢を見せることはときには必要なわけで。

ですから、国連って一体なにしているの?っていうことなんです。

投稿: salir | 2011年9月 3日 (土) 19:10

 韓国や中国は,日本よりも国粋主義的で自国中心的な国だと思います。徹底的に民族教育をしているようにも思います。ただ,最近の若い人たちを見れば,あながちそうでもないようです。
 私たちは,米国とはサンフランシスコ平和条約以来仲よくなりましたが,韓国・中国と国交を回復したのは,もっとずっとあとです。それだけ,あちらには被害者意識があるんです。でも経済の発展のためにはそうも言っていられないという政治判断と世界情勢があって,今があるのでしょう。
 韓国や中国が言っていることは全部正しいなんて思いませんが,私の頭の中には「現状を打開する方向はもっと他にあるのではないか。それを世界の為政者達で絞り出してくれ」といいたいのです。だってこんなこと,一国民ができるわけがない。日本政府が日本の利益だけを考え,韓国政府が韓国の利益だけを考えるのが当たり前…という中では,新しい考えは生まれません。
 私は,太極旗をこれだけ掲げていることに違和感を持ちます。と同時に,天皇が来るときにみんなで日章旗を振ることにも違和感を持ちます。太極旗を無理矢理見せられる人も,日章旗を振らされる人も,自分の意思でやっていないことがよくあるからです。
 国=国民になってくれないかなと思います。が,これは原理的に無理なのでしょうかね。「国」を守るために「国民が犠牲になる」ことがあるのが,戦争をはじめとする,いろんな国策ですからね。「国のエネルギー」を守るために「田舎の国民が犠牲になる」。もちろん「田舎でもうける人もいます」がね。だから国策は「利益が一致した人たちが力を持ちお金も入る」ように進められるんですけれど。
 自国の領土と主張してやまない政府は,自国民へのパフォーマンスの可能性が高いですよね。日本はそんなことをしなくても政府が転覆されるなんて思っていない。でも向こうは,何が引き金になるのかも分かんないですから。
 日本政府が強く出て,韓国・中国が国際的に負けるようなことがあると,日本も困るから,日本側もあまり強く出ないのでしょう。
 とにかく,両者がナショナリズムを強く出すことで解決するとは思えません。

投稿: 珠洲たの管理人 | 2011年9月 2日 (金) 06:13

日本国憲法の前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記述があります。
ではなぜ、戦後66年経った現在でも、領海や領空に勝手に入ってくるのでしょうか。
そしてなぜ、われらの安全と生存をわれらの意思と手で守ることができないのでしょうか。

戦後の日本は、財閥解体のように、あらゆることを切り分け、外交と安全保障・国と国民(市民)、企業と労働者などと、本来はすべてが密接に関わっていて、バランスが大切なのに、とにかく敵対するかのような見方にしてきました。そうしたツケが、あらゆる方面で出ているではないですか。外交、デフレ、雇用不安などなど・・・。
国と国民が同じではない、それで各々が独立して勝手に責任を背負ってくれるのであれば、誰も異議は申し立てないでしょう。しかし、事故後国が20ミリSvに引き上げたことで、日本の輸出製品や観光に必ず響くわけです。国に対する評価も下がり、また国民に負担がのしかかる。
東電がそこまで「織り込み済みだった」とはとても思えません。


ことの本質を見るとき、それを参考にしていくときには、あらゆる立場・考え方・見方がどうしても必要なんです。原発でいえば、「原発は絶対いらない」「原発は絶対いる」だけでなく「原発を運用していくとするならば、退避するためのオートバイとヨウ素剤が必要だ」という考えも必要なんです。日本では「マタサキの議論」によって、事故を起こし、将来ある子どもたちに被曝させてしまったんです。

ドラマ降板の件は、国ではなく局やスポンサーの意向が強いでしょう。原子力技術に携わる企業や電力会社の影響は否めませんが。ある芸人さんが「韓流には興味がない」と言っただけで、コンビであるにも関わらず、そう言った方だけ出演されなくなるケースがあるくらいですからね。でも、そういう対応をして良く思ってみる方だけではないのですから…

投稿: salir | 2011年9月 2日 (金) 01:11

 salirさん。たぶん,私とは違う生き方をしてきたのでしょうね。でもこうしていろいろと話ができるのがネットのいいところです。
 法律は何のためにあるのかとかも考えます。
 国民って,国家ってなんだろうってことも考えます。
 空海はどのようにして中国から密教を持ってきたんだろう…中国語がしゃべれたとは思えません(私はその分野はわかりません)。ただ,昔の倭人たちはどのように大陸の文化を吸収したんだろうかって思うことがあります。今みたいに「日中(韓)辞典」もありませんしね。国の違いの意識はあったんでしょうね。
 国境を決めてあーだこーだというのが,これからもずっと続くのかなあってことも思います。
 今,現在,領海侵犯とかあるのは知っているけど,こんな発想は,以前はなかったはずです。で,近代国家というのができてから,そういう意識ができたのですが,それが今後もずっと続くしかないのでしょうか…それ以外の道はないのか…ということも気になります。
 東電社員さんも,海水の注入を躊躇してしまった役員さんも,会社より先に国のことを考えれば,少しは早い対処を実行できていたのでしょうか? 私はそうは思いません。だって,このときの「国」というものは「東電の会社」と「イコール」なのですから。
 もし,社員達が,少しでも「影響を受けるはずの<国民>のことを優先すること」ができていればちがったでしょうが,一流会社でそれは無理というもの。せいぜいが,あとで「内部告発するくらい」です。
 残念ながら,「国民」と「国」が同じでないのが,今のいろんな国の姿です(たぶん,近代国家というのはそういうものなのでしょう)。
「原発は国策だ。なぜなら,国民が選んだ国会議員が推進すると決めたのだから」という論理があります。でも,利益を受ける人たちが大きな力を持って進める政策を「国」策と呼んでいることも多いのではと思います。
 とりとめもないことを書きました。

 ところで,salirさんは,「ナチス主義もタブーにしてはいけない」という考えですよね。「優生思想もありえる」という議論もありえるのが民主主義なのでしょうか? ん~。
 「脱原発」を言ったために,役を降ろされた俳優もいたとか。ま,所属している会社の迷惑になったのだから仕方ないのでしょうが,それが,「国」に気を遣ったその会社の姿なのかも知れません。この判断は「国民」に対しての発想ではないですよね。 

投稿: 珠洲たの管理人 | 2011年9月 1日 (木) 21:16

歴史認識は別れても致し方ないですし、それはそれで良しとするしかありません。

しかし、以前にも述べましたが、1つや2つの違いで会談や交渉に応じなかったり、
日本の保守議員を入国拒否することが適切なのでしょうか。
もちろん、戦後の日本は押せば譲る姿勢であったため、ある意味誤ったメッセージを伝えたと言えますが、だからといって、こうした状態を続けていくことは、両国においても、とくに韓国においてプラスではありません。

原発が事故を起こして、国や電力会社はずっと嘘を言ってきたのだから、「税金や電気代は支払わない」と言っているのと同じです。相互主義で韓国議員の日本への入国を拒否するのと同じです。

言論の自由が認められている国は、自分たちにとって都合の悪い意見や考え方を排除してはいけないんです。まして弾圧などもってのほかです。右・左関係なくタブーにしてはいけないのです。

以前、教育勅語に関してコメントいたしました。現在の教育基本法には、家庭や国に対する記述がありません(少し国の部分は追加されましたが)。「東電社員がもし、あのとき119番通報していたら」と考える時があります。私たちは、組織の人間であるまえに「社会の一員」であり、国民です。“オオゴト”にしたくないという個人や組織の考えと行動で、多大な被害が出たのです。
それでもなお、一般市民はされる側でしている側のことを考えなくて良いというのは、今後も同じことをまた繰り返すと言っているに変わりないと私は思います。

投稿: salir | 2011年9月 1日 (木) 08:02

 日本の歴史教育がどうも現代の前で終わってしまっているのが気になります。自分の経験でも,明治以降はなんとなく学び,戦後はほとんど学んでいませんからね。
 ただ,日韓併合時にも,大東亜戦争時にも,現地に対して「いいところはあった」というのがあるから…という話は,当たり前でしょう。それを大きく取り上げるかどうかが,歴史認識で別れるのだと思います。バッテンライがそうですからね。
 原発の問題にしても,「道ができたじゃないか」「お金が入ったじゃないか」で,今回の事故を帳消しにはできません。悪いことばかりで,歴史は進むわけがありません。ナチスだって+はいっぱいあったはずです。勉強していませんが…。そうじゃないと選挙で勝てるわけがない。だからナチスもよかったと言えるのかどうか。右の人たちは「言えるのだ!」と言いたいのでしょうね。
 小田実が言うように,私たちは一般市民は「される側からの論理」で考えることでたくさんなのです。そこでしか連帯できないと思います。

 私は,日本が実効支配していた時にも「あちらにもいいところもあった」ということを知っている方がいいとは思いますが,それはあちらが言うべきことです。あちらが,今,それをいえない状況だとすれば,それがあちらの世論ですから,その世論とつきあうしかないでしょう。

投稿: 珠洲たの管理人 | 2011年8月31日 (水) 20:15

日本では「国旗を乱りに使うな」とお叱りを受けそうですが。。。

韓国併合に関しては、日本で議論があるように、統治によって近代化に寄与したという肯定的な評価、一方的な価値観が課されたという否定的な評価をどちらも見なければならないわけです。
韓国は、(併合について)肯定的な意見を述べただけで徹底的な弾圧を受けてしまう国であることを、厳しく認識しておかなければなりません。


私たちは日本人です。日本人はまず日本の歴史を知らねばなりませんし、それを後世に伝えなければなりません。ご承知の通り、現在の高等学校日本史は「選択教科」であり、卑弥呼や鑑真、古墳の種類は知っていても、ハルノートや欽定憲法、明治憲法下で自由が保障されていたということを社会人ですら認識されていない。

点にも評にもならないかもしれませんが、鳩山元総理が「COPにおいて25%CO2削減で拍手と失笑」を受けたあの演説の二の舞を繰り返してはいけないと思うんです。各国には各国に主張があります。戦後の日本はそうした主張を、放課後集られた金持ちのボンボンのように次々とカツアゲされてきたわけです。

国際会議は「闘争の場」であって「仲良くしましょう」とする会議ではないこと、それを抜きにしてはいけませんね。


長文、失礼しました。

投稿: salir | 2011年8月31日 (水) 09:39

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