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紙粘土でお寿司づくり

090527 「和風ペン立て」がキレイニできた6年生。続いての図工は,「紙粘土でお寿司づくり」です。
10年以上も前に一度だけやったことがあるのですが,なかなかおもしろいです。みんな寿司職人になったつもりで一生懸命つくってくれました。
6年生になると,なかなか粘土はさわりません。久しぶりの粘土の感触に興奮気味の子どもたち。
次の時間にはこれに色をつけていきます。
出典は『ものづくりハンドブック5』(仮説社)です。

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キウイのタネから…

090520 昨年の≪タネと発芽≫の授業から引き続き育てているいろんな植物。右の写真は,給食に出てキウイのタネから出てきた芽が大きくなったものです。そろそろ植え替えの時期かなと思います。
ただ,キウイにはオスの木とメスの木があるから,実ができるためにはその両方が必要です。この二つの株がオスとメスならいいのだが…。
今の6年生が卒業する頃には,どれくらいになっているのでしょうか。

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和風ペン立てができました

090518 4月から約7時間。6年生と一緒につくっていた和風ペン立てができました。みんなとってもきれいになり,できばえにも満足していたようです。和風ペン立ての指導は初めてだったのですが,『和風ペン立て』(仮説社)の指導書があったので,その通りにつくったらちゃんと見栄えのするものができあがりました。
見た目だけでなく,持ったときの重量感もずっしり来て,なかなかいい感じです。
担任の先生が,「自分の名前を習字で書き,手作りハンコも押して」,より和風感を醸し出してくれました。

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のとたのしい授業体験講座がはじまりました

090516 待ちに待った「のとたのしい授業体験講座」が始まりました。外はあいにくの雨模様。でも「のと楽」さんのお部屋はとても気持ちがよかったです。今回は,埼玉から小林さんを講師に招いての授業。故吉村七郎さんが手がけていた授業書≪ふしぎな石,石灰石≫の体験講座です。次々と展開される問題-実験。分子模型を使って考えていると,少しずつ「今度はこんな分子ができそうだ」とわかるようになるから,とてもうれしくなります。

講座のようすや参加者の感想文は,そのうち「珠洲たのしい授業の会」のHPにまとめて掲載しますので,お楽しみに。

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宮島・厳島神社の鳥居

090515先に紹介したように,宮島はちょうど干潮の時刻でした。一番潮が引いていた頃には,写真のように大鳥居の下まで行くことができました。鳥居の根本にはフジツボがびっしりとついていました。
瀬戸内の干満の差はとても激しいことが,この鳥居の姿からもわかります。
4時30分頃この鳥居を見たときには,もうすっかり海の中でした。
今度,もし行く機会があったら,満潮のときに行きたいです。今回は,干潮の時にしか見られない「鏡池」なんてのも見られたのでそれはそれでよかったです。

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干潮の宮島

090514 瀬戸内海に浮かぶ世界遺産の島・宮島に行ってきました。お昼の12時ごろがちょうど干潮でした。
日本海側に住んでいる私達にとって,潮の満ち引きで,海岸線が何十メートルも変化するなんて信じられません。瀬戸内海の干潮を見たのは十数年前の鞆の浦でのことでした。今回もまた,干潮の瀬戸内が見られてうれしかったです。
いつもは,写真の石垣の色の濃い部分は波が来ているものと思われます。そこまでは1m近くありそうです。

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比治山・木口小平

090513 「キグチコヘイハ テキノタマニアタリマシタガ シンデモラッパヲ クチヨリハナシマセンデシタ」で有名な,木口小平。その墓は,先に紹介した陸軍墓地にあります。
先の文章は国定教科書修身書に掲載されていて,ご存じの方も多いはず。日清戦争の時,ラッパ手であった木口小平の死に様を幼いうちから子ども達に教え込み,「滅私奉公」の大切なことを説いていったのでしょう。
写真の墓碑の中で,ちょっと金色に見える部分に「木口小平」と刻まれています。分かりやすいように金色でぬってあるのです。

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比治山・ヒロシマの眺め(似島)

090512 陸軍墓地から市内を眺めてみました。広島湾(南)を臨んでいます。以前は原爆ドームも見えたそうですが,今はビルが建って見えなくなったそうです。
右(方角で言うと西)に見えるちょっとかっこのいい島が「似島」です。似島は「安芸小富士」とも呼ばれているそうです。
この島の名前も原爆資料館でよく見ました。
宇品港(現・広島港)が軍用地となるにつれて対面の似島にも軍の施設が置かれるようになったのです。
原爆投下のあと,海岸に逃げてきた被爆者たちは船に乗せられて似島にあった臨時救護所へ運ばれました。その数は1万とも2万とも言われています。マンガ『はだしのゲン』にもそのようすが出てくるそうです。そして,ここで亡くなった3000人あまりの人は,どこのだれかもわからないまま山と積まれ,火葬されたと言います。

『似島』という歌もあります。このHPからどうぞ。

このHPにも情報があります。航空写真で似島の場所も分かります。

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比治山・陸軍墓地

090511もともと。この比治山には,戦前,陸軍の墓地があったそうです。そこには日清・日露の戦争で死亡した方々の亡骸がおさめられていたと言います。ヒロシマが原爆の投下目標になったのは,以前から陸軍の基地であったこともその一因ではないかと思います。だから,この山に陸軍墓地があっても不思議ではないのでしょう。
戦中,軍と市との協議の元,比治山の頂上あたりにあった墓地を合同墓碑に奉安合祀することにしました。それが昭和19年。
その作業の途中でヒロシマは原爆投下に合い,掘りおこされていた途中の墓地は,10年間くらいは,墓標や遺骨などを含め,荒れ放題だったそうです。それで,市民・遺族から浄財を集めて,新しく建立したのが今の墓地というわけです。
私達が行ったとき(午前8時30分頃)にも,掃除をしているおじいさんが一人いました。

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八戸キャニオン

『たのしい授業』で話題の「石灰岩・石灰石」ですが,3月号に紹介されていた日本1の石灰岩の露天掘りの場所「八戸キャニオン」を探してみました。

リンク: H.net|八戸市観光ガイド|八戸キャニオン.
ここには,鉱山展望台の情報があります。また,個人のHPとしては

リンク:八戸キャニオン
に何枚かの写真とくわしい説明があります。うーん,一度見てみたいものですなあ。

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比治山・ABCC跡

090510自家用車で旅をするのは大変ですが,前日や当日の朝,突然,行きたい場所を見つけて移動できるという良さもあります。
広島の二日目,市内の裏山である「比治山」という小高い山に行ってきました。原爆資料館の説明文にも良く出てきた「山」だったからです。
ここには「放射線影響研究所」があります。これは戦後すぐに設けられたアメリカのABCC(原爆障害調査委員会)のあとです。
戦後,当時の広島市長は「市民は必ず不快な感じを抱くだろう」と反対したのですが,1951年1月,その反対を押し切って比治山に建設されたそうです。被爆者を中心とする寿命調査や死亡解剖など,人体を研究材料として利用しただけで,治療はまったくされなかったと言います。しかも,その結果得た資料は公開されずに,すべてアメリカ本国へ持ち帰ったとか…。なんともむごい話です(パンフ「ヒロシマの旅」より)

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世界遺産・原爆ドーム

090509 閉館ギリギリまで資料館にいたので,原爆ドームに行ったのは夕方近くになっていました。ドームは以前来たときよりはなんかきれいになっていたような気がします。今までに3度広島を訪れたのは,8月6日のその日(かその前日)。いずれも原水禁のメンバーとして参加していたので,季節は夏。大変暑い中,公園内を歩いた思い出があります。そのときは,もちろん,まだ世界遺産には指定されていませんでした。
090509_2「原爆ドームを世界遺産に!」と言ったときに,真っ先に反対したのが中国と米国でした。この2国は,現在日本との貿易額が1,2位の国です。
そんなことを思うと,過去の清算が如何に難しいのかが分かります。
近くの商店街のお店「喜多よし」で夕食を食べたあと,ホテルに戻るがてら,もう一度平和公園を横切りました。あたりはすっかり静かになっていました。

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資料館から見た原爆慰霊碑

090508 右の写真は平和記念資料館からみた「原爆慰霊碑」です。
わたしが行ったときには大きな折り鶴の模型が飾られていました。この折り鶴には光が灯ります。夜になると平和のロウソクの光と共に,とても幻想的な雰囲気が平和公園を包んでいました。

ここに来たのは4回目ですが,いつも心が引きします思いがします。今回は,資料館を2時間30分以上かけてじっくりと見てきました。

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広島平和記念資料館にて

090507広島の原爆資料館に行ってきました。その中の展示資料です。戦争が激しくなって金属が足りなくなったので市民に「金属の供出を呼びかける」ためのビラを発行した,そのビラがありました。「回収で挙げよ。銃後の大戦果」という言葉がすごいですねえ。「神風特攻隊の遺勲に応え回収に依り増産に協力しよう」という言葉にも今となっては悲しさしか感じません。

さて,今回,この写真を紹介したのは「アルミニウム」のとなりに「アルマイトヲ含ム」という言葉を見つけたからです。「アルミニウム」が赤字で強調して書かれているのも,当時の家庭での金属の普及具合を感じます。本当のところはどうだったのでしょうか?

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高速道路の壁

090506 大人にとっては「不思議発見」というほどではありませんが,子ども達にとっては「なんでこんなモノが必要なの?」と感じるのではないでしょうか? そういうモノこそ,教材にはもってこいですね。
写真は名神高速道路の「壁」です。もちろん騒音を外に漏らさないためのものでしょう。これだけ湾曲させないと漏れちゃうんでしょうね。「公害の授業」や「音の反射」の授業に使えますね。
この写真,わりときれいにとれているのは,高速が渋滞だったからです(^^ゞ

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アセチレンガス

先日,校務員の方にアセチレンガスで鉄をちょん切る場面を見せてもらいました。

090501うちの学校の中にはには,ジャングルジムをはじめとして,たのしい遊具がいっぱいあるのですが,最近,さびがひどくなってきて危なくなったものがあるので,撤去したり修理したりすることにしました。そこで,溶接?の免許を持っている校務員さんが仕事をしていたというわけです。

鉄を切断する場面なんて子ども達は見たことがないだろうってことで,まずは6年生が「火と空気」の学習の発展として見学。その次に,4年生も見せてもらいました。オレンジ色だった火が酸素を入れることでほとんど見えない火の色になることにビックリしていました。

Acetylene ところでアセチレンの分子式は「C2H2」です。構造式は「HC≡CH」で,炭素原子同士が三重結合をしています(分子の図はウィキペディアより)。そこでとても反応性が大きく,いろんな物質の合成の原料となるそうです。

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