安丸良夫著『神々の明治維新』

 国家神道に関する本を読みました。

 著者によると,「本書は,神仏分離と廃仏毀釈を通じて,日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた,と主張する」ために書かれたものです。
 お寺を回っていると,高い確率で鳥居があったり,しめ縄があったりします。祠もあります。
 で,縁起などの解説を読んでいると,廃仏毀釈でここにあった仏像は…とか,神社が移転で…などという文章にもよく出会います。
 明治維新の時の神仏分離はどのようにしてなされたのか。そこには,神仏分離だけではなく,神神分離(私の造語)もあったのだということが分かります。民衆の中に位置付いていた土着の信仰さえも,国家神道と分けることで,人々の管理を強めていったんだなあということを感じました。
 真宗が生き残る道が結局は国家神道容認にあったのは,この時代では無理もないことだったのだと思います。

 民衆の心を国家が掴むためにやることって,やっぱり怖いです。私から見て,変だなあと思う宗教もあるけど,信教の自由ってとっても大切なんだなって思います。

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一眼レフで遊んでみた

 今回の日食観測を機会に,一眼レフを手に入れてありました。「観測するために…」ではなく,「観測を機会に…」です。以前から,一眼レフがほしいなあと思っていたのですが,小さなデジカメの扱いがとても楽で,しかも写真もキレイニ撮れるので,購入には躊躇していたのです。買ってもめんどくさがって持っていかないのではないか…と。
 でも,日食と結婚式を機会に手に入れました。
 日食観測が終わった後,白浜にあるアドベンチャーワールドへ行ってきました。アドベンチャーワールドへは,この一眼レフに300mmのズームレンズをつけて行きました。動物があまりに近くにいる時にはズームを広角にしても動物の全体が入りません。
120525_01 仕方ないので,全体を撮ることは止めて,望遠で思いっきり遊んでみました。
 するとなかなかいい写真が撮れることを発見。
 上の写真は,180mm。自動で撮りました(f5.6,露出1/500)。
 下の写真は,80mm。自動で撮りました(f8,1/250)。
 120525_02
 三脚も一脚もなしでも,これだけはっきりクックリと撮れるとは…。写真の画像も普通のミニデジとは比べものにならないくらい鮮やかです。パソコン上でもその違いがよくわかります。
 そんなわけで,このブログにも,単なる写真をテーマにした記事が増えそうです。そこで,「一眼レフ」というカテゴリーも設けることにしました。
 もともとアナログの時も一眼レフを持っていたので,写真は好きなのでした。

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記念に2枚

120524_02 日食観測を終え,部屋に戻ってテレビをつけると,いろんな地域で観測した金環日食の映像が流れていました。太平洋側は,雲が多いと言われていたけど,それなりにどこでも見えたようです。「天が味方した」と思ったことでしょう。私はそう思いましたから…。こりゃ,文字通り「天」ですよね。
 ホテルは和室部屋だったのですが,こんな大きなテレビでした。時代だなあ。120524_01記念に1枚,日食番組と一緒に撮りました。
 もう一枚,ホテルの窓から見える,白浜の景色も撮っておきました。
 天気もよくなって…いい景色でしょ。文字通り「白浜」ですね。

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超三日月の木漏れ日

 約4分間の金環日食が終わって,ふと我に返りました。
「あっ,木漏れ日の観察をしていない!!」
 時すでに遅し…金環の映像を見ることはできませんでした。
120523 ベランダから近くの木の影を見ると…ちゃんと超三日月型の木漏れ日がホテルの白い壁に映っていました。これもまた,感動的な風景でした。
 少し前までは,木漏れ日で太陽の形が分かるってことは,トレビアものだったと思いますが,今回の日食騒ぎで,この観察方法は結構有名になったんじゃないかと思います。

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日食観察…鏡の反射

120522_01 鏡に日光を反射させて遠くの壁に映すと,日食の様子を見ることができる…という実験もやってみました。
 私が観察していたのは,ホテルの2階ベランダです。この場所から,1辺約6センチの手鏡を使って,中庭のプールの壁に反射させてみました。プールには水が入ってみませんでしたので,好都合。鏡からは20m120522_02以上離れていたと思います。
 この像が映っている場所へ行って写真を撮ると,日食像と一緒に記念撮影ができます。「日食像と共に記念撮影する」という方法は,前回の日食の時にやっていますので,今回はその応用というわけです。
 なお,鏡の像は反転されますので,ご注意を。下の写真は,金環日食が終わって,少しずつ太陽が出てきている時の写真で,本当は,右上が明るいのです。
 実はこのベランダの下はレストランになっていて,みなさん,朝食バ120522_03イキングの時間でした。それで,プールのところを行ったり来たりする我が娘を見て,不審がっていたようです。プールに太陽が映っているのはレストランからは見えませんからね。

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見た! 金環日食

 6時15分を過ぎて,そろそろ太陽がかけ始めているはずだ。しかし,空は厚い雲に覆われていて,太陽が全く見えない。雲が光っているあたりに太陽があるのだなと想像できる程度の空模様が,30分以上も続いただろうか。
 その間,こんな事もあろうかと,せめて気温の測定だけでもしておこうと,気温を記録し始めた。
 6時10分…18.8度…気温を測ること約50分。
120521_700 そして,午前7時,待ちに待った太陽が,雲の間から顔を出した(上の写真,f5.6 露出時間1/10,ちょっと露出オーバー)。もうずいぶんとかけている姿だ。持ってきた資料によると,太陽の4割くらいが欠けているようだ。この時刻から,太陽はほとんど顔を出すようになってきた。こうなると,気温なんてどうでもよくなってきた。
120521_728 そして,7時25分頃。ついに金環日食の瞬間がやってきた。
 太陽の中に月がすっぽりと入った瞬間,ホテルの中庭にいた人たちからも歓声があがった。白浜では,7時28分頃にちょうど真ん中あたりに月が来ている(下の写真,f5.6,1/50,ちょっと露出オーバー…おしい!)。
 実は,この10分ほど前から,わたしたちの観測しているベランダに若いカップルがやってきたのだ。この二人は,今日の金環日食のことを知らずにこのホテルに宿泊することを1月以上前から決めていたらしい。私たちが「金環日食を見るために来た」というと,とても驚いていた。
 二人は遮光板も持っていなかったので,貸して上げると,感動して見ていた。特に5倍の双眼鏡の威力はすごかった。二人で,すごい,きれい,の連発。そりゃそうでだろう。
 わざわざこれを見るために来ている私たちに,「写真の専門家ですか?」だって…。
 専門家じゃなくても,来たくなるのが,天文現象なんだよなあ。

 6時半頃には半分くらいあきらめたんだったけど,結局,9時前の太陽と月が離れるまでしっかり観測できた。

 尚,最初,私たちも参加しようと思っていた旧白浜空港での観測会の様子は,下記のHPにちょっと出ていた。なんと2000人以上も集まったらしい。すごい!
 http://wakayamapr.ikora.tv/e766205.html
 

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いよいよその日

120521_01 朝,4時前から目が覚めて仕方がない。気になる空は,全天曇り。
 5時過ぎにホテルの部屋から東の方の空を撮ってみた(上の写真)。空には雲の隙間から青空も見えているが,この範囲が増えてきそうな雰囲気ではない。高度が上がるにつれて,雲の厚みもありそうだ。
 太陽の出ている方角が分かったので,私はホテルの周りを120521_02散策して,日食観測用の場所を調べてみた。すると中庭から観察できそうだ。他にも東向にベランダがつている宴会場が
あって,そのベランダもいけそう。さっそくフロントで交渉すると,「今日,宴会場は使っていなので構いませんよ」とのこと。結局,旧白浜空港の観測会には出かけずに,2階のベランダから観察することにした。
 下の太陽は,午前5時30分頃の写真。f5.6,1/2000秒での撮影。このときは,雲の間からしっかり顔を出していた太陽だったのだが…。

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ホテルの夜

120520_kinkan 三段壁を見て,山の上にある「ホテルグリーンヒル白浜」へ。
 このホテルを選んだのは,西側が海に面していて,夕日を見ることができる露天風呂があること。この近くに旧白浜空港跡地があって,そこで日食の日に観察会が行われる予定であったこと(ネットで見つけた)だ。それに,山の上なら,他に遮るものがないので,もしかしたらホテルの中庭からでも直接日食の観察ができるかもしれない…とも思ったからである。
 しかし,先にも書いたように,夕方は小雨がぱらついていて太陽を見ることができなかった。日没の時間を調べてお風呂に入ったのは初めてだったのに…。
 早めの夕食をいただいて,就寝。
 明日の天気予報はあまりよくない…とのこと。

 そうそう,ホテルについてから能登町の天文台「満天星」の職員さんから電話があった。
「明日,朝から観察会をやるので来ませんか?」
というお誘いだ。
 満天星の職員さん達は,今回の日食にあたり,能登町内・全児童生徒数分の遮光板を用意してくれたことは,前のこのブログでも紹介した。(2012年5月11日)
 記事は
http://suzutano.tea-nifty.com/blog/2012/05/post-74ee.htmlに書いてある。
「実は…」
と話そうとすると,私が言う前から…
「先生,もしかして,どこかに出かけていますか?」
と,鋭い突っ込み。
「そう,和歌山県の白浜に来ています。明日,曇りの予報なんです。」
「じゃあ,観光でもして帰ってきてください。」
だって…。
「そちらの天文台で撮影した写真なんかを,また,分けてください」
とお願いしたのでした。

 

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南紀白浜へ

 昨日は運動会。夜遅くまで飲んでいたが,今日は早めに起きて和歌山県は白浜まで行くことにしてある。目的は「金環日食を見ること」だ。
 能登半島でも日食は見れるのだが,部分日食に留まる。娘のいる京都(このブログによく京都が登場するのは,そういう関係だ)でも金環日食が見られるのだが,ちょっと2重円には見えない…。そこで和歌山まで行こうというわけだ。
 しかし,天気予報は,今晩は雨が降り,明日はくもり…本当に大丈夫なのだろうか…。
120520_01 朝,7時過ぎに家を出て,京都を経由して,娘を連れて,一路,白浜へと向かった。天気予報通り,夕方,少しだけ小雨が混じってきた。
 それでも,ホテルのチェックインまで2時間くらいあったので,白浜の千畳敷や三段壁,などを見学した。
 千畳敷へは降りることもできるので,時間をとって観察。一120520_02見,滑りそうに見えるのだが,砂岩で出てきている地層なので,結構ブレーキがかかって,ぬれていても滑らなかった。浸食を受けた自然の造形は,鑑賞に値する。途中,石英や長石っぽい礫が混ざっている地層もあった(下の写真)。
 
 

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秀吉の地震対策…太閤柱

120519 とっても大きくてかっこいい東福寺の三門。その4隅にあるちょっとみっともない柱が気になりませんか。右の写真を見るとわかりますね。2階から1階の屋根に向かって1本。1階の屋根から地面に向かって1本の柱が,すこしずれるような感じでついています。
 これって一体なんでしょう? 美的にはあまりよくないようですが…。
 これ,実は,地震に対する補強対策なのです。
 東福寺三門前の「解説」には以下のように書かれていました。

 大屋根の四隅の角柱は,桃山城崩落の天正大地震による三門の傷みを天正13年秀吉が行った大修理の際に補足した柱で,通称「太閤柱」と呼ばれている。

 そこで,三門の2階にいた係の女性(この日は三門特別拝観ができた)に,
「この柱って,科学的に見て,耐震対策として,意味あるんですか?」
と聞いてみました。
「それなりに意味はあるそうです。」
って答えでした。
「本瓦拭きの屋根がとても重いので,それを支えることができるそうです。」
って。なるほど…。
 さて,看板にある「天正大地震」というのは,天正13年11月29日(1586年1月18日)午後10時過ぎ,日本の中部で発生した巨大地震のことで,複数の活断層が同時に動き,広い範囲に大きな被害を及ぼした地震だっただろうと言われています。
 このとき,秀吉は,たまたま,琵琶湖西岸の坂本城にいました。大きな地震にびっくりして,大阪城に逃げ帰ったと歴史書には書かれています。
 そのとき,東福寺の三門にも被害があったのだと思います。

 しかし,看板にある「伏見桃山城」の建設が始まったのは1592年(文禄元年)であり,完成したのが1596年(慶長元年)なのです。その城が,それより前に起きた天正大地震に崩れるわけがない…。
 私が調べたところによると,伏見桃山城を崩した地震は,慶長伏見地震と呼ばれている地震で,それは1596年9月5日に起きています。このとき,謹慎中だった加藤清正が真っ先に秀吉の元に駆けつけたことが,歌舞伎にもなっています(地震加藤)。
 だとすると,この看板は間違いなのでしょうか? よくわかりません。
 あとで東福寺に聞いてみましょうかね。

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